宋名臣言行録 / 前集巻二・王旦
契丹既受盟而歸冦公每有自多之色雖上亦以自得也王欽若深患之一日從容言于上曰此春秋城下之盟也諸侯猶且恥之而陛下以為功臣竊不取真宗愀然不樂曰為之奈何欽若度上厭兵即謬曰陛下以兵取幽燕乃可刷恥上曰河朔生靈始免兵禍吾安能為此可思其次欽若曰唯有封禪泰山可以鎮服四海誇示外國然自古封禪當得天瑞然後可為也既而又曰天瑞安可必得前代葢有以人力為之者惟人主深信而崇奉之以明示天下則與天瑞無異也上乆之乃可然旦方為相上心憚之曰王旦得無不可乎欽若曰臣得以聖意諭旦宜無不可乘間為旦言之旦黽勉而從然上意猶未决莫與籌之者他日晚幸祕閤唯杜鎬方直宿上驟問之曰古所謂河圖洛書果何事耶鎬老儒不測上㫖漫應之曰此聖人以神道設教耳適與上意㑹上由此意決遂召旦飲酒于内中懽甚賜以樽酒曰此酒極佳歸與妻孥共之既歸發之乃珠子也由是天書封禪等事旦不復異議旦為相才有過人者然至此不能力爭議者少之
新字:契丹既受盟而帰寇公毎有自多之色雖上亦以自得也王欽若深患之一日従容言于上曰此春秋城下之盟也諸侯猶且恥之而陛下以為功臣竊不取真宗愀然不楽曰為之奈何欽若度上厭兵即謬曰陛下以兵取幽燕乃可刷恥上曰河朔生霊始免兵禍吾安能為此可思其次欽若曰唯有封禅泰山可以鎮服四海誇示外国然自古封禅当得天瑞然後可為也既而又曰天瑞安可必得前代葢有以人力為之者惟人主深信而崇奉之以明示天下則与天瑞無異也上乆之乃可然旦方為相上心憚之曰王旦得無不可乎欽若曰臣得以聖意諭旦宜無不可乗間為旦言之旦黽勉而従然上意猶未決莫与籌之者他日晩幸秘閤唯杜鎬方直宿上驟問之曰古所謂河図洛書果何事耶鎬老儒不測上旨漫応之曰此聖人以神道設教耳適与上意会上由此意決遂召旦飲酒于内中懽甚賜以樽酒曰此酒極佳帰与妻孥共之既帰発之乃珠子也由是天書封禅等事旦不復異議旦為相才有過人者然至此不能力争議者少之
書き下し
契丹既に盟を受けて歸る。冦公每に自多の色有り。上と雖も亦た以て自得す。王欽若深く之を患う。一日、從容として上に言いて曰く、此れ春秋の城下の盟なり。諸侯すら猶お且つ之を恥ず。而るに陛下以て功と為す。臣竊かに取らずと。真宗愀然として樂しまずして曰く、之を奈何せんと。欽若、上の兵を厭うを度り、即ち謬りて曰く、陛下、兵を以て幽燕を取らば、乃ち恥を刷ぐ可しと。上曰く、河朔の生靈、始めて兵禍を免る。吾れ安んぞ能く此を為さん。其の次を思う可しと。欽若曰く、唯だ泰山に封禪する有り。以て四海を鎮服し、外國に誇示す可し。然れども古より封禪は當に天瑞を得て然る後に為す可きなりと。既にして又た曰く、天瑞は安んぞ必ず得可けんや。前代葢し人力を以て之を為す者有り。惟だ人主深く信じて之を崇奉し、以て天下に明示せば、則ち天瑞と異なる無きなりと。上乆しくして乃ち可とす。然れども旦方に相と為る。上心に之を憚りて曰く、王旦得て不可とする無からんやと。欽若曰く、臣、聖意を以て旦に諭すを得ば、宜しく不可なる無かるべしと。間に乘じて旦の為に之を言う。旦黽勉して從う。然れども上の意猶お未だ决せず。與に之を籌る者莫し。他日、晚に祕閤に幸す。唯だ杜鎬のみ方に直宿す。上驟かに之に問いて曰く、古に所謂る河圖洛書とは果たして何事ぞやと。鎬は老儒にして上㫖を測らず。漫りに之に應じて曰く、此れ聖人の神道を以て教えを設くるのみと。適々上の意と㑹す。上此れに由りて意決す。遂に旦を召して酒を内中に飲む。懽甚だし。賜うに樽酒を以てして曰く、此の酒極めて佳し。歸りて妻孥と之を共にせよと。既に歸りて之を發けば、乃ち珠子なり。是に由りて天書封禪等の事、旦復た異議あらず。旦、相と為りて才の人に過ぐる者有り。然れども此に至りて力爭する能わず。議者之を少とす。
現代語訳
契丹が盟約を受けて帰った。寇準はいつも得意げな色を見せていた。帝もまたそれで満足していた。王欽若は深くこれを憂えた。ある日、落ち着いて帝に言った。「これは春秋にいう城下の盟です。諸侯でさえこれを恥としました。それなのに陛下は功とされている。臣はひそかに賛成いたしかねます」。真宗は寂しげに楽しまず、「どうすればよいか」と言った。王欽若は帝が戦を厭うのを見て取り、わざと言った。「陛下が兵をもって幽燕を取れば、恥をすすげます」。帝は言った。「河北の民はやっと戦の禍いを免れたばかりだ。私にどうしてそれができよう。次の手を考えてくれ」。王欽若は言った。「ただ泰山に封禅することがあります。それで四海を鎮め従わせ、外国に誇り示せます。しかし古来、封禅は天の瑞祥を得てから行うべきものです」。ほどなくまた言った。「天の瑞祥はどうして必ず得られましょう。前代には人の力でそれを作った者があります。ただ君主が深く信じてこれを崇め奉り、天下に明らかに示せば、天の瑞祥と変わりありません」。帝は長く考えたうえで承知した。しかし王旦がちょうど宰相であった。帝は内心これを憚って言った。「王旦が不可としないだろうか」。王欽若は言った。「臣が陛下のお心を王旦に伝えられれば、不可とすることはないでしょう」。折を見て王旦にそれを話した。王旦はしぶしぶ従った。それでも帝の心はまだ決まらず、ともに謀る者がなかった。後日、夕方に秘閣に行った。杜鎬だけがちょうど当直していた。帝は突然に尋ねた。「古にいう河図洛書とは、はたして何のことか」。杜鎬は老儒で帝の意図を測れなかった。何気なく答えた。「これは聖人が神の道によって教えを立てたというだけのことです」。たまたま帝の思いと合った。帝はこれによって心を決めた。そこで王旦を召して宮中で酒を飲んだ。たいそう歓んだ。樽の酒を賜って言った。「この酒はきわめて良い。帰って妻子と共にするがよい」。帰って開けてみると、真珠であった。これによって天書と封禅などの事に、王旦はもう異議を唱えなかった。王旦は宰相として、才において人に勝るところがあった。しかしここに至って力を尽くして争うことができなかった。議論する者はこれをもって彼を低く見る。
解説
この章句が説くこと
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