宋名臣言行録 / 後集巻十・傅堯俞
熈寧三年王安石新用事方變法令公以母䘮服除至京師安石素善公謂公曰舉朝紛紛今幸公來已議以待制諌院奉還矣公謝曰恩甚厚但恐與公所謂新法者相妨耳且為言新法之不善者安石大怒乃以為權同判流内銓
新字:熈寧三年王安石新用事方変法令公以母喪服除至京師安石素善公謂公曰舉朝紛紛今幸公来已議以待制諌院奉還矣公謝曰恩甚厚但恐与公所謂新法者相妨耳且為言新法之不善者安石大怒乃以為権同判流内銓
書き下し
熙寧三年、王安石新たに事を用い方に法令を變ぜんとす。公母の喪を以て服除し京師に至る。安石素より公と善し。公に謂いて曰く、擧朝紛紛たり。今幸いに公來たる。已に議して待制諫院を以て奉還せんと。公謝して曰く、恩甚だ厚し。但だ恐らくは公の所謂新法なる者と相い妨げんのみと。且つ爲に新法の善からざる者を言う。安石大いに怒り、乃ち以て權同判流内銓と爲す。
現代語訳
熙寧三年、王安石が新たに政を執って、まさに法令を変えようとしていた。公は母の喪が明けて都に至った。王安石はもとから公と親しかった。公に言った。「朝廷じゅうが騒がしい。いま幸い公が来られた。すでに議して、待制と諫院の職をお返しすることにしている」。公は礼を述べて言った。「ご恩はたいそう厚いものです。ただ、恐らくは公のいわゆる新法と食い違うことになるでしょう」。そのうえで新法のよくないところを述べた。王安石は大いに怒り、そこで権同判流内銓とした。
解説
受ける前に、条件を明かした条です。断ってもいません。ただ、就けばこうなると先に告げました。**ご恩はたいそう厚いものです。ただ、恐らくは公のいわゆる新法と食い違うことになるでしょう。**しかも言葉だけで済ませず、その場で中身を並べています。**そのうえで新法のよくないところを述べた。**受けてから反対すれば、裏切りになります。受ける前に言えば、選ぶのは相手のほうです。結果は降格でした。
この章句が説くこと
熙寧三年王安石新たに事を用い方に法令を変ぜんとす安石素より公と善し已に議して待制諫院を以て奉還せん恩甚だ厚し但だ恐らくは公の所謂新法なる者と相い妨げんのみ且つ為に新法の善からざる者を言う安石大いに怒る抜擢条件
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