宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
遷起居舍人兼司諌公偶為家人雇乳母牙媪以謂無有詰其故因言内降指揮見求乳母公怒曰汝何敢爾妄言且今上猶未納后安得有此媼云内東門司開封府錄實預其事公與府錄有契因折簡問之答如所聞
新字:遷起居舎人兼司諌公偶為家人雇乳母牙媪以謂無有詰其故因言内降指揮見求乳母公怒曰汝何敢爾妄言且今上猶未納后安得有此媼云内東門司開封府録実預其事公与府録有契因折簡問之答如所聞
書き下し
起居舍人に遷り司諫を兼ぬ。公偶ミ家人の爲に乳母を雇う。牙媪以謂えらく有る無し、と。其の故を詰る。因りて言う、内降の指揮あり、見に乳母を求む、と。公怒りて曰く、汝何ぞ敢えて爾か妄言する。且つ今上猶お未だ后を納れず、安んぞ此れ有るを得ん、と。媼云う、内東門司・開封府録、實に其の事に預る、と。公府録と契有り、因りて簡を折りて之を問う。答うること聞く所の如し。
現代語訳
起居舎人に移り、司諫を兼ねた。劉安世はたまたま家人のために乳母を雇おうとした。周旋する老婆が、空きがないと言う。そのわけを問いただした。すると老婆は言った。「宮中から直々の指図があって、いま乳母を求めておいでです」。劉安世は怒って言った。「お前はよくもそんなでたらめを言えたものだ。そのうえ今の主上はまだ皇后をお迎えになっていない。どうしてそんなことがあろうか」。老婆は言った。「内東門司と開封府録事が、実際にその件に関わっております」。劉安世は開封府録事と面識があったので、手紙を折って問い合わせた。返事は聞いたとおりであった。
解説
家の用事から始まっています。乳母を雇おうとして、空きがないと言われた。そこで止めなかったのがこの人でした。**そのわけを問いただした。**返ってきた答えを、まず疑っています。**お前はよくもそんなでたらめを言えたものだ。**怒鳴って終わりにもしません。名前の挙がった役所に、知り合いを通じて裏を取りました。**返事は聞いたとおりであった。**噂を聞いた、で上奏していれば、この後の一件は成り立ちませんでした。
この章句が説くこと
公偶ミ家人の為に乳母を雇う牙媪以謂えらく有る無しと内降の指揮あり見に乳母を求む汝何ぞ敢えて爾か妄言する且つ今上猶お未だ后を納れず公府録と契有り因りて簡を折りて之を問う答うること聞く所の如し確認噂
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徒然草・第73段世にかたり伝ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も変るものなり。かつ顕はるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も実しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが為面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は真しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
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