宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
而執政方宻啟令禁中自定議尊濮王為皇是月二十間天章閣賞小桃因以勸太后太后有酒所卧閣中内臣髙居簡蘇利涉從上至太后榻前拜以書一封進太后求一押字太后酒未解不知書所言何事遂從之既而書出乃太后命中書尊濮王為皇等事明日遂奉行太后始知京師諠然下至閭巷亦以為不可太后力爭不已二十二日乃下詔罷濮王稱皇等事
新字:而執政方宻啟令禁中自定議尊濮王為皇是月二十間天章閣賞小桃因以勧太后太后有酒所卧閣中内臣高居簡蘇利渉従上至太后榻前拝以書一封進太后求一押字太后酒未解不知書所言何事遂従之既而書出乃太后命中書尊濮王為皇等事明日遂奉行太后始知京師諠然下至閭巷亦以為不可太后力争不已二十二日乃下詔罷濮王称皇等事
書き下し
而して執政方に密かに啓して、禁中をして自ら議を定めて濮王を尊びて皇と爲さしむ。是の月二十の間、天章閣に小桃を賞す。因りて以て太后に勸む。太后酒有りて閣中に臥す。内臣髙居簡・蘇利渉、上に從いて太后の榻前に至り、拜して書一封を以て太后に進め、一押字を求む。太后酒未だ解けず、書の言う所何事たるかを知らず、遂に之に從う。既にして書出づ。乃ち太后の中書に命じて濮王を尊びて皇と爲す等の事なり。明日遂に奉行す。太后始めて知る。京師諠然たり。下は閭巷に至るまで亦た以て不可と爲す。太后力爭して已まず。二十二日、乃ち詔を下して濮王を皇と稱する等の事を罷む。
現代語訳
そして執政はちょうどひそかに申し出て、宮中の側で自ら議を定めて濮王を尊んで皇とさせようとした。その月の二十日ごろ、天章閣で小桃の花を愛でた。そのついでに太后に酒を勧めた。太后は酔って閣内に臥した。宦官の高居簡と蘇利渉が天子に従って太后の寝台の前に至り、拝礼して書状一通を太后に差し出し、署名を一つ求めた。太后は酔いが醒めておらず、書状に何が書いてあるかも知らず、そのまま従った。やがて書状が出された。それは太后が中書に命じて、濮王を尊んで皇とするなどの事であった。翌日ただちに施行された。太后ははじめて知った。都は騒然となった。下は町の路地に至るまで、みなよくないこととした。太后は力を尽くして争ってやまなかった。二十二日、そこで詔を下して、濮王を皇と称するなどの事を取りやめた。
解説
この章句が説くこと
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