宋名臣言行録 / 前集巻八・王堯臣
初宦者張永和方用事請收民房錢十之三以佐國事下三司永和隂遣人以利動公公執不可度支副使林濰附永和議不巳公奏罷濰乃止益利夔三路轉運使皆請増民鹽井課嵗可爲錢十餘萬公亦以爲不可而權倖因縁多見裁抑京師數為飛語及上之左右徃徃䜛其短者上一切不問而公爲之亦自若也及公既罷上慰勞之公頓首謝曰非臣之能惟陛下信用臣爾
新字:初宦者張永和方用事請収民房銭十之三以佐国事下三司永和陰遣人以利動公公執不可度支副使林濰附永和議不巳公奏罷濰乃止益利夔三路転運使皆請増民塩井課歳可為銭十余万公亦以為不可而権倖因縁多見裁抑京師数為飛語及上之左右往往讒其短者上一切不問而公為之亦自若也及公既罷上慰労之公頓首謝曰非臣之能惟陛下信用臣爾
書き下し
初め宦者張永和、方に事を用う。民の房錢十の三を收めて以て國事を佐けんことを請う。三司に下す。永和、隂かに人を遣わして利を以て公を動かす。公執って不可とす。度支副使林濰、永和に附きて議して已まず。公、奏して濰を罷めしめて乃ち止む。益・利・夔三路の轉運使、皆な民の鹽井の課を増さんことを請う。歳に錢十餘萬を爲す可し。公も亦た以て不可と爲す。而して權倖、縁に因りて多く裁抑せらる。京師、數々飛語を爲して上の左右に及ぶ。徃徃にして其の短を䜛る者あり。上、一切問わず。而して公の之を爲すも亦た自若たり。公の既に罷むに及び、上、之を慰勞す。公頓首して謝して曰く、臣の能に非ず。惟だ陛下、臣を信用したまえばのみと。
現代語訳
はじめ宦官の張永和がちょうど事を握っていた。民の家賃の十分の三を取って国事の助けにするよう求めた。三司に下した。張永和はひそかに人をやって利で公を動かそうとした。公は譲らず不可とした。度支副使の林濰が張永和に付いて議論してやまなかった。公は奏上して林濰を罷免させ、そこで止んだ。益州・利州・夔州の三路の転運使が、みな民の塩井の課税を増やすよう求めた。年に銭十余万になるはずであった。公はやはり不可とした。そして権勢に近い者たちは、それにかこつけて多くが抑え込まれた。都ではしきりに根も葉もない噂を立てて、帝の側近にまで及んだ。しばしばその短所をそしる者があった。帝はいっさい取り合わなかった。そして公がそれを行うことも、平然としていた。公が罷免されたとき、帝はねぎらった。公は頭を下げて礼を述べて言った。「臣の能力ではありません。ただ陛下が臣を信じて用いてくださっただけです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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牧民忠告・聽訟健訟(けんしょう)の者理或いは勝たざれば、則ち往往にして其の敵嘗て官長を謗(そし)ると誣(し)う。之を聴く者当(まさ)に心を平らかにし気を易(やわ)らげ、謗言(ぼうげん)を事外(じがい)に置き、惟(た)だ其の実を核(ただ)して之を遣(や)るべし、庶(こいねが)わくは奸民(かんみん)の計中(けいちゅう)に堕(お)ちざらんことを。
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史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
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史記 伍子胥列伝呉の太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰く、「子胥の人と為りは剛暴にして恩少なく、猜賊なり。其の怨望、恐らく深禍を為さん。前日王斉を伐たんと欲し、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り。子胥其の計謀の用ゐられざるを恥ぢ、乃ち反って怨望す。而して今王又復た斉を伐つに、子胥専愎彊諫し、用事を沮毀し、徒に呉の敗るるを幸ひて以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫め用ゐられず、因りて輟めて謝し、病を詳りて行かず。王備へざる可からず、此れ禍を起こすこと難からず。且つ嚭人をして微かに之を伺はしむるに、其の斉に使ひするや、乃ち其の子を斉の鮑氏に属す。夫れ人臣為りて、内に意を得ず、外に諸侯に倚り、自ら以て先王の謀臣と為し、今用ゐられず、常に鞅鞅として怨望す。願はくは王早く之を図れ」と。呉王曰く、「微子の言、吾も亦た之を疑へり」と。乃ち使ひをして伍子胥に属鏤の剣を賜はしめて曰く、「子此れを以て死せ」と。伍子胥天を仰ぎ嘆じて曰く、「嗟乎、讒臣嚭乱を為し、王乃ち反って我を誅す。我、若の父をして覇たらしむ。若の未だ立たざりし時自り、諸公子立つを争ふに、我死を以て之を先王に争ひ、幾んど立つを得ざらんとす。若既に立つを得るや、呉国を分かちて我に予へんと欲するも、我顧って敢て望まざるなり。然るに今若、諛臣の言を聴きて以て長者を殺す」と。乃ち其の舎人に告げて曰く、「必ず吾が墓の上に樹うるに梓を以てし、以て器を為る可からしめよ。而して吾が眼を抉りて呉の東門の上に縣けよ、以て越寇の入りて呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自剄して死す。呉王之を聞き大いに怒り、乃ち子胥の尸を取り盛るに鴟夷の革を以てし、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐み、為に祠を江上に立て、因りて命づけて胥山と曰ふ。