宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
紹聖初黨禍起器之尤為章惇蔡卞所忌逺謫嶺外盛夏奉老母以行途人皆憐之器之不屈也一日行山中扶其母籃舁憇樹有大蛇冉冉而至草木皆披靡擔夫驚走器之不動也蛇若相向者久之乃去村民羅拜器之曰官異人也蛇吾山之神見官喜相迎耳官行無恙乎溫公門下士多矣如安世所守凛然死生禍福不變葢其平生喜讀孟子故剛大不枉之氣似之
新字:紹聖初党禍起器之尤為章惇蔡卞所忌遠謫嶺外盛夏奉老母以行途人皆憐之器之不屈也一日行山中扶其母籃舁憇樹有大蛇冉冉而至草木皆披靡担夫驚走器之不動也蛇若相向者久之乃去村民羅拝器之曰官異人也蛇吾山之神見官喜相迎耳官行無恙乎温公門下士多矣如安世所守凛然死生禍福不変葢其平生喜読孟子故剛大不枉之気似之
書き下し
紹聖の初め黨禍起こる。器之尤も章惇・蔡卞の忌む所と爲り、遠く嶺外に謫せらる。盛夏、老母を奉じて以て行く。途人皆な之を憐れむ。器之屈せざるなり。一日山中を行く。其の母の籃舁を扶けて樹に憩う。大蛇有り、冉冉として至る。草木皆な披靡す。擔夫驚き走る。器之動かざるなり。蛇相い向かう者の若くして、久しくして乃ち去る。村民羅拜して器之に曰く、官は異人なり。蛇は吾が山の神なり。官を見て喜びて相い迎うるのみ。官行きて恙無からんか、と。温公門下の士多し。安世の守る所の如きは、凛然として死生禍福に變ぜず。蓋し其の平生喜んで孟子を讀む。故に剛大不枉の氣之に似たり。
現代語訳
紹聖の初め、党禍が起こった。劉安世はとりわけ章惇・蔡卞に憎まれ、遠く嶺南の外に流された。真夏に、老母を奉じて出立した。道行く人は皆これを憐れんだ。だが劉安世は屈しなかった。ある日、山中を行った。母の乗る駕籠を支えて木陰に憩った。大蛇が現れ、ゆっくりと近づいてきた。草木がみな伏し靡いた。担ぎ手は驚いて逃げ出した。劉安世は動かなかった。蛇は向かい合うようにしていて、しばらくして去っていった。村人たちは並んで拝み、劉安世に言った。「お役人さまは異人でいらっしゃる。あの蛇はわが山の神です。お役人さまを見て喜んでお迎えしたのです。道中つつがなくいらっしゃいましょう」。司馬光の門下の士は多い。だが劉安世の守り抜いたところは、凛として生死や禍福に変わることがなかった。思うに、この人は平生よろこんで孟子を読んだ。だから剛大でねじ曲がらない気が、それに似ていた。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世其の人馭を飛ばして徑ちに驅せ、公の貶所に至る。郡將其の客を遣わして来たりて公に後事を治めんことを勸めしむ。涕泣して以て言う。公色動かず。客を留めて酒を飲み、談笑自若たり。俄かに報ず、運使郡城を距ること二十餘里、翌日當に至るべし、と。家人之を聞きて益ミ號泣して食らわず、且つ公の身後の事を治む。而れども公の飲食起居は平常の如く、曾て少しも異なる無し。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世公時に喪を執る。服の闋くるを候たずして貶所に赴く。時に公貶所に在り。土豪の進納に緣りて以て仕に入る者有り。因りて厚貲を持して京に入り、以て惇に見えんことを求む。犀珠磊落、賄は僕□に及ぶ。久しくして見ゆるを得ず。其の人直ちに能く公を殺すを以て意を惇に達す。乃ち之に見ゆ。數日ならずして薦めて殿に上らしめ、選人より秩を改め、本路の轉運判官に除す。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世惇・卞事を用う。必ず公を死に致さんと欲す。故に方に廣東に竄すれば則ち廣西に移し、既に廣西に抵れば則ち復た廣東に徙す。凡そ二廣の間、遠惡の州軍、至らざる所無し。人皆な公必ず死せんと謂う。然れども七年の間、未だ嘗て一日も病まず。年幾ど八十、堅悍にして衰えず。此れ人力の及ぶ所に非ず。殆ど天の相くるなり。或るひと問う、何を以て此に至るか、と。曰く、誠のみ、と。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世公宋に在り、門を杜ざし跡を屏け、妄りに交遊せず。人罕に其の面を見る。然れども田夫野叟・市井の細民、以謂えらく、若し南京を過ぎて劉待制に見えざれば、泗州を過ぎて大聖に見えざるが如し、と。公の殁するに及び、耆老士庶・婦人女子、薫劑を持し佛經を誦して公を哭する者、日に數千人。後二年、虜人墳戸を驅りて棺を發く。公の顔貌生けるが如きを見る。咸な驚きて曰く、必ず異人なり、と。一も動かす所無く、棺を蓋いて去る。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世建中の間、公蘇子瞻と嶺外より同に歸る。宣和の間に至り、内侍梁師成幸を得て、貴きこと一時を震わす。蔡京・童貫と雖も皆な其の下に出づ。師成呉可をして京師より宋に来たらしめ、公を鈎致して引きて以て大いに用いんと欲す。且つ書を以て公に抵る。可至りて三日、然る後に敢えて之を出す。且つ来たる所以の意を道う。大概諸孫の仕を求むるを以て言と爲し、以て公を動かす。公謝して曰く、吾若し子孫の計を爲さば、則ち此に至らざるなり。且つ吾廢斥せらるること幾ど三十年、未だ嘗て一點の墨も當朝の權貴に與うる有らず。吾元祐の完人爲らんと欲す。戒を破る可からず、と。乃ち其の書を還して答えず。人皆な公の爲に之を危ぶむ。而れども公自若たり。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世公宣和の元日より以後、賓客を謝絶す。四方の書問皆な封を啓かず。家事は巨細と無く悉く問わず。夏六月丙午、忽ち大風瓦を飛ばし、驟雨注ぐが如く、雷電晝晦し、公の正寝に於いてす。人皆な駭懼して走る。雨止み色を辨ずるに及び、公已に終われり。聞く者咸な焉を異とす。□に及び、楊中立文を以て之を弔して曰く、劫火洞然たるも、燼きざるは惟だ玉のみ、と。搢紳往往傳誦して以て切當と爲す。