宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公判北京有汪輔之者新除運判為人辯急初入謁公方坐㕔事閲謁置案上不問入宅久之乃出輔之巳不堪既見公禮之甚簡謂曰家人頃令沐髮忘見運判勿訝輔之沮甚舊例監司至之三日府必作㑹公故罷之輔之移文定日檢按府庫通判以次白公公不荅是日公家宴内外事並不許通輔之坐都㕔吏白侍中家宴匙鑰不可請輔之怒破架閤庫鎻亦無從檢按也
新字:公判北京有汪輔之者新除運判為人弁急初入謁公方坐㕔事閲謁置案上不問入宅久之乃出輔之巳不堪既見公礼之甚簡謂曰家人頃令沐髪忘見運判勿訝輔之沮甚旧例監司至之三日府必作会公故罷之輔之移文定日検按府庫通判以次白公公不荅是日公家宴内外事並不許通輔之坐都㕔吏白侍中家宴匙鑰不可請輔之怒破架閤庫鎻亦無従検按也
書き下し
公北京を判す。汪輔之なる者有り、新たに運判を除せらる。人と爲り辯急なり。初めて入謁するに、公は方に廳事に坐して謁を閲す。案上に置きて問わず、宅に入る。之を久しくして乃ち出づ。輔之已に堪えず。既に見ゆるに、公之を禮すること甚だ簡なり。謂いて曰く、家人頃ろ髮を沐せしむ。運判に見ゆるを忘る。訝る勿かれと。輔之沮むこと甚だし。舊例、監司至りて三日、府必ず會を作す。公故らに之を罷む。輔之文を移して日を定め、府庫を檢按す。通判次を以て公に白す。公答えず。是の日、公家宴し、内外の事並びに通ずるを許さず。輔之都廳に坐す。吏白す、侍中家宴す。匙鑰請う可からずと。輔之怒りて架閣庫の鎖を破るも、亦た檢按するに從う無きなり。
現代語訳
文彦博は北京の長官であった。汪輔之という者があり、新たに運判に任じられた。人となりは弁が立ち短気であった。はじめて面会に来たとき、文彦博はちょうど庁舎で名刺を見ていた。それを机の上に置いたまま問わず、奥に入ってしまった。長くたってから出てきた。汪輔之はもう我慢がならなかった。会うと、文彦博の応対はきわめて簡略であった。こう言った。「家の者にちょうど髪を洗わせていた。運判にお会いするのを忘れていた。怪しまれるな」。汪輔之はひどく気を挫かれた。旧例では、監司が着任して三日目に、府は必ず会を催す。文彦博はわざとこれをやめた。汪輔之は文書を回して日を決め、府の倉庫を検査しようとした。通判が順を追って文彦博に報告した。文彦博は答えなかった。その日、文彦博は家で宴を張り、内外の用件をいっさい取り次がせなかった。汪輔之は本庁に座っていた。役人が申し上げた。「侍中は家で宴を張っておられます。鍵をお願いすることはできません」。汪輔之は怒って書庫の錠を壊したが、それでも検査に応じる者はいなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
-
『呻吟語』外篇・品藻・人の相ひ病むこと終已無し中庸の道明らかならざるより、人の相ひ病むこと終已無し。狷介の人は和易なる者を病みて熟軟と為し、和易の人は狷介なる者を病みて乖戾と為す。率真の人は慎密なる者を病みて深險と為し、慎密の人は率真なる者を病みて粗疏と為す。精明の人は渾厚なる者を病みて含糊と為し、渾厚の人は精明なる者を病みて苛刻と為す。之を孔子に質さしめば、吾其の必ず公案有るを知る。孔子なる者は、千聖を一身に合し、萬善を一心に萃め、事に隨ひて時に之を出だし、人に因りて之を通變す。
-
『呻吟語』内篇・應務・五に主有れば則ち事成らざる無し意見の同じからざればなり。今仁者・義者・禮者・智者・信者の五人有りて一事を共にせば、五相濟せば則ち事成らざる無く、五に主有れば則ち事敗れざる無し。仁者は寬を欲し、義者は嚴を欲し、智者は巧を欲し、信者は實を欲し、禮者は文を欲す。事胡ぞ以て成らんや。此れ他無し、自ら是とするの心勝ちて、相持するの勢均しければなり。往事を歷觀するに、每に意見を以て相爭ひ、人の國家を亡ぼすに至り、禍變を釀成して顧みざる有り。君子の罪大なるかな。
-
『墨子』尚同下然らば下の情を得るを計るに將に奈何せば可ならんとするか。故に子墨子曰く、「唯だ能く尚同一義を以て政を為して、然る後に可なり。何を以て尚同一義の可にして天下に政を為すを知るや。然らば胡ぞ古の治めて政を為すの説を審らかに稽えざるや。古者、天の始めて民を生ずるや、未だ正長有らざるなり。百姓、政を為す。若し茍くも百姓、政を為さば、是れ一人一義、十人十義、百人百義、千人千義なり。人の衆きこと勝げて計う可からざるに逮び至れば、則ち其の義と謂う所の者も、亦た勝げて計う可からず。此れ皆な其の義を是として、人の義を非とす。是を以て厚き者は鬬有り、而して薄き者は争有り。是の故に天下の一天下の義を同じくせんと欲するなり。是の故に賢者を選擇し、立てて天子と為す。
-
『甲陽軍鑑』品第十三去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
-
福翁自伝・幼少の時・反故を踏みお札を踏む又私の十二、三歳の頃と思う。兄が何か反古を揃えて居る処を、私がドタバタ踏んで通った所が兄が大喝一声、コリャ待てと酷く叱り付けて、「お前は眼が見えぬか、之を見なさい、何と書いてある、奥平大膳大夫と御名があるではないかと大造な権幕だから、「アヽ左様で御在ましたか、私は知らなんだと云うと、「知らんと云ても眼があれば見える筈じゃ、御名を足で踏むとは如何云う心得である、臣子の道はと、何か六かしい事を並べて厳しく叱るから謝らずには居られぬ。「私が誠に悪う御在ましたから堪忍して下さいと御辞儀をして謝ったけれども、心の中では謝りも何もせぬ。「何の事だろう、殿様の頭でも踏みはしなかろう、名の書いてある紙を踏んだからッて構うことはなさそうなものだと甚だ不平で、ソレカラ子供心に独り思案して、兄さんの云うように殿様の名の書いてある反古を踏んで悪いと云えば、神様の名のある御札を踏んだら如何だろうと思て、人の見ぬ処で御札を踏んで見た所が何ともない。「ウム何ともない、コリャ面白い、今度は之を洗手場に持て行て遣ろうと、一歩を進めて便所に試みて、その時は如何かあろうかと少し怖かったが、後で何ともない。「ソリャ見たことか、兄さんが余計な、あんな事を云わんでも宜いのじゃと独り発明したようなものだが、是れ許りは母にも云われず姉にも云われず、云えば屹と叱られるから、一人で窃と黙って居ました。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る