宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
公為越州僉判蔡卞為帥待公甚厚初卞嘗為公語張懷素道術通神雖飛禽走獸能呼遣之至言孔子誅少正夘彼嘗諌以為太早漢楚成臯相持彼屢登髙觀戰不知其嵗數殆非世間人也公每竊笑之
新字:公為越州僉判蔡卞為帥待公甚厚初卞嘗為公語張懐素道術通神雖飛禽走獣能呼遣之至言孔子誅少正夘彼嘗諌以為太早漢楚成臯相持彼屢登高観戦不知其歳数殆非世間人也公毎竊笑之
書き下し
公越州の僉判爲り。蔡卞帥爲り、公を待つこと甚だ厚し。初め卞嘗て公の爲に張懷素の道術神に通ずるを語る。飛禽走獸と雖も能く之を呼び遣る、と。至りては言う、孔子少正卯を誅せしとき、彼嘗て諫めて以て太だ早しと爲す、と。漢楚成臯に相い持せしとき、彼屢ミ高きに登りて戰いを觀る、と。其の歲數を知らず、殆ど世間の人に非ざるなり、と。公每に竊かに之を笑う。
現代語訳
陳瓘は越州の僉判であった。蔡卞が長官で、陳瓘をたいそう厚く遇した。初め、蔡卞はかつて陳瓘に、張懐素の道術が神に通じていることを語った。飛ぶ鳥や走る獣であっても呼び寄せ、追い払うことができる、と。ひどいものになるとこう言う。孔子が少正卯を誅殺したとき、あの男はかつてそれを諫めて早すぎると言った、と。漢と楚が成皋で対峙していたとき、あの男はたびたび高い所に登って戦いを見物した、と。その年齢が分からず、ほとんどこの世の人ではないのだ、と。陳瓘はそのたびに、ひそかにこれを笑っていた。
解説
上司が熱心に売り込んでくる話が、だんだん大きくなっていく様子です。初めは動物を操るという程度でした。**飛ぶ鳥や走る獣であっても呼び寄せ、追い払うことができる。**それが孔子の同時代人になり、楚漢の戦いの見物人になります。**その年齢が分からず、ほとんどこの世の人ではないのだ。**話が大きくなるほど、確かめようがなくなります。陳瓘の反応は一行だけでした。**陳瓘はそのたびに、ひそかにこれを笑っていた。**逆らわず、乗りもしない。
この章句が説くこと
公越州の僉判為り蔡卞帥為り公を待つこと甚だ厚し卞嘗て公の為に張懐素の道術神に通ずるを語る孔子少正卯を誅せしとき彼嘗て諫めて以て太だ早しと為す其の歳数を知らず殆ど世間の人に非ざるなり怪異上司
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徒然草・第73段世にかたり伝ふる事、誠は愛なきにや、多くは皆虚言なり。あるにも過ぎて、人はものをいひなすに、まして年月すぎ、境も隔たりぬれば、いひたき侭に語りなして、筆にも書き留めぬれば、やがて定りぬ。道々のものの上手のいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに神の如くにいへども、道知れる人は更に信も起さず。音にきくと見る時とは、何事も変るものなり。かつ顕はるゝも顧みず、口に任せていひちらすは、やがて浮きたることと聞ゆ。又我も実しからずは思ひながら、人のいひし侭に、鼻の程をごめきて言ふは、その人の虚言にはあらず。げにげにしく、所々うちおぼめき、能く知らぬよしして、さりながら、つまづま合せて語る虚言は、恐ろしき事なり。わが為面目あるやうに言はれぬる虚言は、人いたくあらがはず、皆人の興ずる虚言は、一人さもなかりし物といはむも詮なくて、聞き居たる程に、證人にさへなされて、いとゞ定りぬべし。とにもかくにも虚言多き世なり。唯常にある、珍しからぬ事の侭に心えたらむ、よろづ違ふべからず。下ざまの人のものがたりは、耳驚くことのみあり。よき人はあやしき事を語らず。かくはいへど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは世俗の虚言を懇に信じたるも、をこがましく、「よもあらじ。」などいふも詮なければ、大方は真しくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひあざけるべからず。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠民間、訛言す、白頭の老翁有り、午後に人の男女を食らうと。公、犀浦を召して謂いて曰く、近ごろ訛言、衆を惑わす。汝、縣に歸り去り、市肆の中を訪ね、歸明の人の尚お鄉里の患いと為る者あらば、必ず大いに其の事を言わん。但だ證解を立てて來れと。明日果たして之を得たり。公遂に市に戮す。即日、帖然たり。夜市、故の如し。公曰く、妖訛の興るは、沴氣之に乘ず。妖は則ち形有り、訛は則ち聲有り。訛を止むるの術は、識斷に在りて厭勝に在らずと。
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