宋名臣言行録 / 前集巻二・呂端
趙普在中書端為參政趙普謂人曰吾觀呂公奏事得嘉賞未嘗喜遇抑挫未嘗懼真台輔之器也
新字:趙普在中書端為参政趙普謂人曰吾観呂公奏事得嘉賞未嘗喜遇抑挫未嘗懼真台輔之器也
書き下し
趙普中書に在り、端參政と為る。趙普人に謂いて曰く、吾れ呂公の事を奏するを觀るに、嘉賞を得るも未だ嘗て喜ばず、抑挫に遇うも未だ嘗て懼れず。真の台輔の器なりと。
現代語訳
趙普が中書省にいたとき、呂端は参知政事であった。趙普は人に語って言った。「私が呂公の奏上ぶりを見ていると、褒められても喜んだためしがなく、押さえつけられても恐れたためしがない。まことに宰相の器だ」。
解説
建国の宰相が、後の宰相を見立てた三十八字です。挙げたのは能力ではありませんでした。褒められても喜ばず、押さえつけられても恐れない。評価の上下で振れないこと、それだけを見て「宰相の器」と言っています。帆柱が折れても本を読んでいた条と、同じところを見ています。この書が人物を測るときの物差しが、はっきり出た一条です。
この章句が説くこと
嘉賞を得るも未だ嘗て喜ばず抑挫に遇うも未だ嘗て懼れず真の台輔の器なり吾れ呂公の事を奏するを観るに平静評価器量
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