宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
孫侍郎長卿罷環慶路安撫拜集賢院學士為河東轉運使臺諫交章論列長卿守邉無狀宜加降黜中書以長卿嵗滿得代無過可黜而臺諌論奏不已六月十一日進呈上厲聲曰已行之事何可改臣脩奏曰臣等不為已行難改若朝廷果是除授不當能用臺諌之言改正足以上彰陛下從諌之聖臣等能不遂非而改過亦是好事但以長卿除授不為非當若從臺諌之言使彼御寃受屈於理未安然之
新字:孫侍郎長卿罷環慶路安撫拝集賢院学士為河東転運使台諫交章論列長卿守邉無状宜加降黜中書以長卿歳満得代無過可黜而台諌論奏不已六月十一日進呈上厲声曰已行之事何可改臣脩奏曰臣等不為已行難改若朝廷果是除授不当能用台諌之言改正足以上彰陛下従諌之聖臣等能不遂非而改過亦是好事但以長卿除授不為非当若従台諌之言使彼御冤受屈於理未安然之
書き下し
孫侍郎長卿、環慶路安撫を罷めて集賢院學士を拜し、河東轉運使と爲る。臺諫交ミ章して論列す、長卿邊を守ること狀無し、宜しく降黜を加うべしと。中書は長卿の歳滿ちて代を得、過ちの黜す可き無きを以てす。而して臺諫論奏して已まず。六月十一日進呈す。上厲聲に曰く、已に行うの事、何ぞ改む可けんやと。臣脩奏して曰く、臣等は已に行いて改め難しと爲さず。若し朝廷果たして是れ除授當たらずんば、能く臺諫の言を用いて改正するは、以て上は陛下の諫に從うの聖を彰らかにするに足る。臣等能く非を遂げずして過ちを改むるも亦た是れ好事なり。但だ長卿の除授を以て非當と爲さず。若し臺諫の言に從わば、彼をして寃を御け屈を受けしむ。理に於いて未だ安からずと。之を然りとす。
現代語訳
侍郎の孫長卿が環慶路安撫を辞めて集賢院学士を拝命し、河東転運使となった。台諫が次々に上章して論じ立てた。「長卿は辺境を守るのに実績がありません。降格すべきです」。中書のほうは、長卿は任期が満ちて交代したのであり、退けるべき過ちがない、という立場であった。それでも台諫は論じてやまなかった。六月十一日に奏上した。天子は激しい声で言った。「すでに行った事を、どうして改められようか」。臣たる私は奏して言った。「臣らは、すでに行ったから改めがたいと言っているのではありません。もし朝廷が本当に任命を誤ったのであれば、台諫の言葉を用いて改めることは、上は陛下が諫めに従われる聖なるお心を明らかにするに十分です。臣らが誤りを押し通さずに過ちを改めるのも、また良いことです。ただ、長卿の任命が不当であるとは考えておりません。もし台諫の言葉に従えば、彼に無実の罪を負わせ、屈辱を受けさせることになります。道理としてよろしくありません」。天子はもっともだとした。
解説
この章句が説くこと
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『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
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