宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
知澠池縣縣旁山上有廟世衡葺之其梁重大衆不能舉世衡乃令縣幹剪髪如手搏者驅數對於馬前云欲詣廟中教手搏傾城人隨往觀之既至而不教謂觀者曰汝曹先為我致廟梁然後觀手搏衆欣然趨下山共舉之須臾而上其權數皆此類
新字:知澠池県県旁山上有廟世衡葺之其梁重大衆不能舉世衡乃令県幹剪髪如手搏者駆数対於馬前云欲詣廟中教手搏傾城人随往観之既至而不教謂観者曰汝曹先為我致廟梁然後観手搏衆欣然趨下山共舉之須臾而上其権数皆此類
書き下し
澠池縣を知る。縣の旁の山上に廟有り。世衡、之を葺る。其の梁重大にして、衆舉ぐる能わず。世衡乃ち縣幹をして髪を剪りて手搏する者の如くならしめ、數對を馬前に驅りて云う、廟中に詣りて手搏を教えんと欲すと。城を傾けて人、隨いて往きて之を觀る。既に至りて教えず。觀る者に謂いて曰く、汝曹、先ず我が為に廟の梁を致せ。然る後に手搏を觀よと。衆欣然として趨りて山を下り、共に之を舉ぐ。須臾にして上る。其の權數、皆な此の類なり。
現代語訳
澠池県の長官となった。県のかたわらの山の上に廟があった。种世衡はそれを修繕した。その梁が重く大きくて、人々が持ち上げられなかった。种世衡はそこで県の職員に髪を切らせて相撲取りのような格好にさせ、数組を馬の前に引き連れて言った。「廟へ行って相撲を教えるつもりだ」。町じゅうの人が空になるほど付いて行って、それを見物した。着いてから教えなかった。見物人に言った。「おまえたち、まず私のために廟の梁を運んでくれ。そのうえで相撲を見なさい」。人々は喜んで走って山を下り、みなでそれを持ち上げた。あっという間に上がった。その臨機の手だては、みなこの類であった。
解説
人手が足りないところに、**見物人を集めて運ばせた**条です。相撲を教えると言って町じゅうの人を山へ連れて行き、着いてから**「まず私のために廟の梁を運んでくれ。そのうえで相撲を見なさい」。**動員を掛けたのではありません。集まってきた人に、順番を付け替えただけです。**あっという間に上がった。**編者は「その臨機の手だては、みなこの類だった」と締めています。
この章句が説くこと
其の梁重大にして衆舉ぐる能わず廟中に詣りて手搏を教えんと欲す城を傾けて人随いて往く汝曹先ず我が為に廟の梁を致せ然る後に手搏を観よ動員機転順序
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