宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公歎曰我亦得罪於吕相者唯其言公取信於後世也吾嘗聞范公平生自言無怨惡於一人兼其與吕公解仇書見在范集中豈有父自言無怨惡於人而其子不使解仇於地下父子之性相逺如此信乎堯朱善惡異也
新字:公嘆曰我亦得罪於呂相者唯其言公取信於後世也吾嘗聞范公平生自言無怨悪於一人兼其与呂公解仇書見在范集中豈有父自言無怨悪於人而其子不使解仇於地下父子之性相遠如此信乎堯朱善悪異也
書き下し
公歎じて曰く、我も亦た呂相に罪を得たる者なり。唯だ其の言公なれば、信を後世に取るなり。吾嘗て聞く、范公平生自ら一人に怨惡無しと言うと。兼ねて其の呂公と仇を解くの書は范集の中に見在す。豈に父自ら人に怨惡無しと言いて、其の子は仇を地下に解かしめざる有らんや。父子の性の相い遠きこと此くの如し。信なるかな、堯・朱の善惡の異なるやと。
現代語訳
欧陽脩は嘆じて言った。「私もまた呂夷簡から罪を得た者である。ただその言葉が公正であればこそ、後世に信用されるのだ。私はかつて聞いている、范公は生涯、自分は一人にも怨みや憎しみを持たない、と言っていたと。あわせて、その呂夷簡と仇を解いた手紙は、いまも范公の文集の中に現に残っている。父が自分から、人に怨みや憎しみは無いと言っていながら、その子が地下で仇を解かせないということがあろうか。父と子の性質が、これほど離れているものか。まことに、堯と丹朱の善悪が異なっていたというのは本当だ」。
解説
反論の立て方が、感情ではなく証拠でした。まず自分の立場を明かします。**私もまた呂夷簡から罪を得た者である。ただその言葉が公正であればこそ、後世に信用されるのだ。**恨みのある者が褒めたからこそ、記録として通用する。そして現物を挙げました。**その呂夷簡と仇を解いた手紙は、いまも范公の文集の中に現に残っている。**削った側の主張が、当人の文集と食い違っている。**父が自分から、人に怨みや憎しみは無いと言っていながら、その子が地下で仇を解かせないということがあろうか。**
この章句が説くこと
我も亦た呂相に罪を得たる者なり唯だ其の言公なれば信を後世に取るなり范公平生自ら一人に怨悪無しと言う其の呂公と仇を解くの書は范集の中に見在す父子の性の相い遠きこと此くの如し和解親子
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修自ら云う、道を學ぶこと三十年、得る所の者は心を平らかにして怨惡無きのみと。公初め范希文の事を以て呂相に罪を得、遠く三峽に貶せられて流落すること累年なり。呂公相を罷めて、公始めて進擢を被る。後に范公の爲に神道碑を作り、西事の時、呂公の希文を擢用するを言い、盛んに呂の賢を稱し、能く私憾を釋きて國家に力を共にすと爲す。希文の子純仁大いに以て然らずと爲し、石に刻むには則ち輒ち此の一節を削り去りて云う、我が父は死に至るまで未だ嘗て仇を解かずと。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修公初め范公を論救するに坐して遠く三峽に貶せらる。後に元昊反く。范起ちて環慶の帥と爲り、公を辟して牋奏を掌らしめんとす。公難じて曰く、吾初めに范公の事を論ずるは、豈に以て己の利と爲さんや。其の退を同じくして其の進を同じくせざるも可なりと。遂に辭して往かず。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公の吕公に坐して貶せられしより、羣士大夫、各々二公の曲直を持す。吕公之を患う。凡そ公に直きなる者は指して黨と為し、或いは坐して貶竄せらる。吕の復た相たるに及び、公も亦た再び起ちて用いらる。是に於て二公驩然として相い約し、力を戮せて賊を平らぐ。天下の士、皆な此を以て二公を多とす。然れども朋黨の論、遂に起こりて止まず。上、既に公を賢として大用す可しとす。故に卒に羣議を置きて之を用う。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修潁州を知る時、呂公の子公著、通判と爲る。人と爲り賢行有り。時の人未だ知らず。公朝に還りて力めて之を薦む。是に由りて漸く擢用を見る。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、開封を知る。百官圖を為りて以て獻じて曰く、人に任ずるに各々其の才を以てすれば、百職修まる。堯舜の治も此くの如きに過ぎずと。因りて其の遷進の遲速・次序を指して曰く、此くの如くにして以て公と為す可く、以て私と為す可し。亦た察せざる可からずと。是に由りて吕丞相怒り、上前に交々論ずるに至る。公、對を求めて辨ず。語切なり。坐して職を落とされ饒州を知る。饒州に貶せられ、謝表に云う、此にして郡と為らば、優優たる布政の方を陳べん。必ずや朝に立たば、蹇蹇たる匪躬の節を増さんと。天下、公の至誠にして國を許し、始終渝らず、進退を以て其の守を易えざるを歎ず。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・歐陽修范文正は忠亮讜直、言に囘避無し。左右便とせず、因りて公は大臣を離間すと言い、貶して饒州を知らしむ。余靖上疏して論救す。朋黨を以て坐して貶せらる。尹洙上言す、靖と仲淹との交わりは淺し。臣の仲淹に於けるは義に師友を兼ぬ。當に從いて坐貶せらるべしと。郢州の稅を監せしむ。公書を貽りて司諫髙若訥の其の辜に非ざるを辨ずる能わざるを責む。若訥大いに怒り、其の書を繳奏す。夷陵令に降授せらる。公復た師魯に書して云う、五六年來、此の輩は沈黙畏慎して世間に布く。忽ち吾輩の此の事を作すを見て、下は竈間の老婢に至るまで亦た相い驚き怪しむと。時に蔡襄、四賢一不肖詩を作りて以て之を歌う。