宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
通判睦州時趙元昊欲叛而未有以發則為嫚書求大名以怒朝廷規得譴絶以激使其衆公以謂朝廷自景徳以來既與契丹盟天下忘備將不知兵士不知戰民不知勞蓋三十年矣若驟用之必有喪師蹶將之憂兵連民疲必有盜賊意外之患當含垢匿瑕順適其意使未有以發得嵗月之頃以其間選將厲士堅城除器為不可勝以待之雖元昊終於必叛而兵出無名吏士不直其上難以决勝小國用兵三年而不見勝負不折則破我以全制其後必勝之道也
新字:通判睦州時趙元昊欲叛而未有以発則為嫚書求大名以怒朝廷規得譴絶以激使其衆公以謂朝廷自景徳以来既与契丹盟天下忘備将不知兵士不知戦民不知労蓋三十年矣若驟用之必有喪師蹶将之憂兵連民疲必有盗賊意外之患当含垢匿瑕順適其意使未有以発得歳月之頃以其間選将厲士堅城除器為不可勝以待之雖元昊終於必叛而兵出無名吏士不直其上難以決勝小国用兵三年而不見勝負不折則破我以全制其後必勝之道也
書き下し
睦州を通判せし時、趙元昊叛かんと欲するも未だ以て發する有らず。則ち嫚書を爲して大名を求め、以て朝廷を怒らせ、譴絶を得て以て激して其の衆を使わんとす。公以謂えらく、朝廷は景德以來既に契丹と盟し、天下備えを忘れ、將は兵を知らず、士は戰を知らず、民は勞を知らざること蓋し三十年なり。若し驟かに之を用いば、必ず師を喪い將を蹶かすの憂い有らん。兵連なり民疲れなば、必ず盜賊意外の患有らん。當に垢を含み瑕を匿し、其の意に順適して未だ以て發する有らざらしめ、歳月の頃を得て、其の間に將を選び士を厲まし、城を堅くし器を除え、勝つ可からざるを爲して以て之を待つべし。元昊は終に必ず叛くと雖も、兵は名無くして出で、吏士は其の上を直しとせず、勝を決し難し。小國の兵を用うること三年にして勝負を見ずんば、折れずんば則ち破る。我は全を以て其の後を制す。必勝の道なりと。
現代語訳
睦州の通判であったとき、趙元昊は叛こうとしていたが、まだきっかけがなかった。そこで無礼な書状を作って大きな称号を要求し、それによって朝廷を怒らせ、絶交の処分を受けることで自分の民を煽り立てて動かそうとした。張方平は考えた。朝廷は景徳以来すでに契丹と盟約を結び、天下は備えを忘れ、将は兵を知らず、兵は戦を知らず、民は労を知らないこと、およそ三十年になる。もし急にこれを用いれば、必ず軍を失い将を倒す憂いがある。戦が長引き民が疲れれば、必ず盗賊という思わぬ災いが起こる。ここは恥を呑み傷を隠して、相手の意に沿わせ、きっかけを与えないようにし、その間の歳月を得て、そのうちに将を選び兵を励まし、城を堅くし武器を整え、勝てない態勢を作って待つべきである。元昊は結局必ず叛くとしても、その兵は名分なく出ることになり、その部下は上を正しいとせず、勝ちを決めにくい。小国が兵を三年用いて勝負がつかなければ、折れなければ破れる。こちらは万全でその後を制する。これが必勝の道である。
解説
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