宋名臣言行録 / 後集巻四・蔡襄
是時天下無事士大夫弛於久安一日元昊叛師久無功天子慨然厭兵思正百度以脩太平既巳排羣議進退二三大臣又詔増置諫官四員使拾遺補闕所以遇之甚寵公以材名在選中遇事感激無所廽避權倖畏歛不敢撓法干正而上得益與大臣圖議明年屢下詔書勸農桑興學校革弊修廢而天下竦然知上之求治矣於此之時言事之臣無日不進見而公之補益為尤多
新字:是時天下無事士大夫弛於久安一日元昊叛師久無功天子慨然厭兵思正百度以脩太平既巳排羣議進退二三大臣又詔増置諫官四員使拾遺補闕所以遇之甚寵公以材名在選中遇事感激無所廽避権倖畏歛不敢撓法干正而上得益与大臣図議明年屢下詔書勧農桑興学校革弊修廃而天下竦然知上之求治矣於此之時言事之臣無日不進見而公之補益為尤多
書き下し
是の時天下無事にして、士大夫久安に弛む。一日元昊叛き、師久しく功無し。天子慨然として兵を厭い、百度を正して以て太平を脩めんことを思う。既に已に羣議を排して二三の大臣を進退す。又た詔して諫官四員を増置し、拾遺補闕せしむ。之を遇する所以甚だ寵たり。公材名を以て選中に在り。事に遇えば感激して廻避する所無し。權倖畏れ斂めて、敢えて法を撓め正を干さず。而して上益ミ大臣と圖議するを得たり。明年、屢ミ詔書を下して農桑を勸め、學校を興し、弊を革め廢を脩む。而して天下竦然として上の治を求むるを知れり。此の時に於いて、言事の臣は日として進見せざる無く、而して公の補益は尤も多しと爲す。
現代語訳
当時、天下は無事で、士大夫は長い安穏に緩んでいた。ある日、元昊が叛き、軍は長く功がなかった。天子は憤然として戦を厭い、あらゆる制度を正して太平を修めることを思った。すでに多くの議論を排して二三の大臣を進めたり退けたりした。さらに詔して諫官を四人増やし、漏れを拾い欠けを補わせた。その扱いはたいそう手厚かった。蔡襄は才の評判によって選ばれた中にいた。事に出会えば奮い立って避けるところがなかった。権勢を持つ者は畏れて身を縮め、あえて法を曲げ正しさを侵そうとしなくなった。そして天子はますます大臣と議を練ることができた。翌年、たびたび詔書を下して農桑を勧め、学校を興し、弊害を改め廃れたものを修めた。そして天下は襟を正して、天子が治めを求めていることを知った。この時期、意見を述べる臣が拝謁しない日はなく、そのうち蔡襄の補いが最も多かった。
解説
この章句が説くこと
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