宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
呂吉甫參政事使其親友謂公曰子容吾鄉里丈人行若從吾言執政可得也公笑而不荅
新字:呂吉甫参政事使其親友謂公曰子容吾鄉里丈人行若従吾言執政可得也公笑而不荅
書き下し
呂吉甫政事に參ず。其の親友をして公に謂わしめて曰く、子容は吾が鄉里の丈人の行なり。若し吾が言に從わば、執政得可きなり、と。公笑いて荅えず。
現代語訳
呂恵卿が参知政事となった。その親しい友人を通じて蘇頌に言わせた。「子容どのは、私の郷里の年長者にあたる方だ。もし私の言うことに従ってくださるなら、執政の地位も得られましょう」。蘇頌は笑って答えなかった。
解説
三十五字の短い条です。誘いの筋道が丁寧に組まれています。まず同郷の縁を持ち出し、しかも相手を年長者として立てました。**子容どのは、私の郷里の年長者にあたる方だ。**そのうえで条件を出します。**もし私の言うことに従ってくださるなら、執政の地位も得られましょう。**断りの言葉は書かれていません。**蘇頌は笑って答えなかった。**理屈で応じれば交渉が始まってしまいます。話にしない、という返し方でした。
この章句が説くこと
呂吉甫政事に参ず其の親友をして公に謂わしむ子容は吾が鄉里の丈人の行なり若し吾が言に従わば執政得可きなり公笑いて荅えず誘い同郷
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