宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
承君取告見之問志完曰平生與君相許者何如今君為何官志完愧謝曰上遇羣臣未嘗假以辭色獨於浩若相喜者今天下事故不勝言意欲使上益相信而後言貴有益也承君許之
新字:承君取告見之問志完曰平生与君相許者何如今君為何官志完愧謝曰上遇羣臣未嘗仮以辞色独於浩若相喜者今天下事故不勝言意欲使上益相信而後言貴有益也承君許之
書き下し
承君告を取りて之に見ゆ。志完に問いて曰く、平生君と相い許す所の者は何如。今君は何の官と爲るか、と。志完愧謝して曰く、上は群臣に遇うに、未だ嘗て辭色を假さず。獨り浩に於いてのみ相い喜ぶ者の若し。今天下の事故、言うに勝えず。意うに、上をして益ミ相い信ぜしめて而る後に言わば、益有るを貴ばんと欲すればなり、と。承君之を許す。
現代語訳
田昼は休暇を取って鄒浩に会いに行った。鄒浩に尋ねて言った。「日ごろ君と互いに認め合ってきたものは、いったい何だったのか。いま君は何の官についているのか」。鄒浩は恥じ入って礼を述べて言った。「主上は群臣に接するとき、いまだかつて言葉も顔つきもやわらげられたことがない。ただ私に対してだけは、喜んでおられるようなのだ。いま天下の出来事は、言い尽くせないほどある。私の考えでは、主上にいっそう信じていただいてから申し上げれば、そのほうが役に立つことを大事にできると思うのだ」。田昼はこれを承知した。
解説
問い詰めが、二つの短い問いで来ます。日ごろ君と互いに認め合ってきたものは、いったい何だったのか。いま君は何の官についているのか。約束と、現在の肩書き。並べただけで責めになっています。鄒浩の答えは、逃げではありませんでした。順番の話をしています。主上にいっそう信じていただいてから申し上げれば、そのほうが役に立つ。信用を貯めてから使う、という戦略です。田昼はいったん納得しました。田昼はこれを承知した。
この章句が説くこと
平生君と相い許す所の者は何如今君は何の官と為るか上は群臣に遇うに未だ嘗て辞色を仮さず独り浩に於いてのみ相い喜ぶ者の若し上をして益ミ相い信ぜしめて而る後に言わば益有るを貴ばんと欲す承君之を許す信用時機
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