宋名臣言行録 / 前集巻三・向敏中
除右僕射麻下日翰學李昌武當對真宗謂之曰朕自即位未嘗除右僕射今日以命敏中此殊命也敏中應甚喜對曰臣未知宣麻亦不知敏中何如上曰敏中今日門下賀客必多卿往觀之明日却對来勿言朕意也昌武□丞相歸乃往見門無一人昌武徑入見之徐賀曰今日聞降麻士大夫莫不歡慰公但唯唯又曰自上即位未嘗除端揆自非徳重眷殊何以至此公復唯唯又厯陳前世為僕射者勲勞徳業之盛禮命之重公亦唯唯卒無一言既退復使人至庖厨中問今日有無親戚賔客宴飲者亦寂無一人乃具以所見對上笑曰敏中大耐官職
新字:除右僕射麻下日翰学李昌武当対真宗謂之曰朕自即位未嘗除右僕射今日以命敏中此殊命也敏中応甚喜対曰臣未知宣麻亦不知敏中何如上曰敏中今日門下賀客必多卿往観之明日却対来勿言朕意也昌武□丞相帰乃往見門無一人昌武径入見之徐賀曰今日聞降麻士大夫莫不歓慰公但唯唯又曰自上即位未嘗除端揆自非徳重眷殊何以至此公復唯唯又厯陳前世為僕射者勲労徳業之盛礼命之重公亦唯唯卒無一言既退復使人至庖厨中問今日有無親戚賔客宴飲者亦寂無一人乃具以所見対上笑曰敏中大耐官職
書き下し
右僕射に除せらる。麻下るの日、翰學李昌武當に對すべし。真宗之に謂いて曰く、朕、即位より未だ嘗て右僕射を除せず。今日、以て敏中に命ず。此れ殊命なり。敏中は應に甚だ喜ぶべしと。對えて曰く、臣未だ宣麻を知らず。亦た敏中の何如なるかを知らずと。上曰く、敏中は今日、門下の賀客必ず多からん。卿往きて之を觀よ。明日却って對し来たれ。朕が意を言う勿かれと。昌武□丞相の歸るを、乃ち往きて之を見る。門に一人も無し。昌武徑ちに入りて之に見え、徐ろに賀して曰く、今日、降麻を聞く。士大夫歡慰せざるは莫しと。公但だ唯唯たり。又た曰く、上、即位より未だ嘗て端揆を除せず。自ら徳重く眷殊なるに非ずんば、何を以て此に至らんと。公復た唯唯たり。又た厯く前世の僕射為る者の勲勞徳業の盛んなる、禮命の重きを陳ぶ。公も亦た唯唯たり。卒に一言も無し。既に退き、復た人をして庖厨の中に至りて、今日、親戚賔客の宴飲する者有るや無きやを問わしむ。亦た寂として一人も無し。乃ち具さに見る所を以て對う。上笑いて曰く、敏中は大いに官職に耐うと。
現代語訳
右僕射に任じられた。詔が下った日、翰林学士の李昌武が拝謁することになっていた。真宗は彼に言った。「私は即位してからこれまで右僕射を任じたことがない。今日それを向敏中に命じた。これは特別の任命である。向敏中はきっとたいそう喜んでいるだろう」。李昌武は答えた。「臣はまだ詔が下ったことを存じません。また向敏中がどうしているかも存じません」。帝は言った。「向敏中のところは今日、祝いの客がきっと多かろう。卿は行って見てくるがよい。明日戻って報告せよ。私の考えだとは言うな」。李昌武は□丞相が帰るのを待って、そこで訪ねて行った。門に人が一人もいなかった。李昌武はそのまま入って会い、ゆっくりと祝いを述べた。「今日、詔が下ったと聞きました。士大夫で喜ばない者はありません」。公はただ「はい、はい」と言うだけであった。また言った。「主上は即位以来この位を任じられたことがありません。徳が重く格別の目をかけられているのでなければ、どうしてここに至れましょう」。公はまた「はい、はい」と言うだけであった。さらに歴代の僕射となった者の功労と徳業の盛んなこと、任命の重さを一つ一つ述べた。公はやはり「はい、はい」と言うだけで、ついに一言も無かった。退出してから、また人をやって厨房に行かせ、今日、親戚や賓客で宴を開いている者があるかどうかを尋ねさせた。こちらもひっそりとして一人もいなかった。そこで見たままを詳しく報告した。帝は笑って言った。「向敏中は、まことによく官職に耐えている」。
解説
この章句が説くこと
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