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宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬

彬累遣告城中大軍決取十一月二十七日破城宜早為之圖後主將遣其愛子清源郡公仲寓入覲至仲冬下旬日日克期仲寓未出彬累遣督之言郎君到寨四面即罷攻後主終惑左右之言以為堅壘如此天象無變豈可計日而取葢敵人之言豈足為信但報言行李之物未備宮中之宴餞未畢將以二十七日出彬又令懇言至二十六日亦無及矣果以是日城陷整軍成列至其宮城門後主方開門奉表納降彬答拜為之盡禮先是宮中預積薪後主誓言若社稷失守當携血屬以赴火既見彬彬諭以歸朝俸賜有限費用至廣當厚自齎裝既歸有司之籍則無及矣遣後主入治裝禆將梁逈田欽祚皆力爭以為茍有不虞咎將誰執彬曰非爾所知觀煜神器懦夫女子之不若豈能自引決哉煜果無他彬遣五百人為搬致輜重登舟後主既失國殊無心問家計所賫特鮮矣

新字:彬累遣告城中大軍決取十一月二十七日破城宜早為之図後主将遣其愛子清源郡公仲寓入覲至仲冬下旬日日克期仲寓未出彬累遣督之言郎君到寨四面即罷攻後主終惑左右之言以為堅塁如此天象無変豈可計日而取葢敵人之言豈足為信但報言行李之物未備宮中之宴餞未畢将以二十七日出彬又令懇言至二十六日亦無及矣果以是日城陥整軍成列至其宮城門後主方開門奉表納降彬答拝為之尽礼先是宮中預積薪後主誓言若社稷失守当携血属以赴火既見彬彬諭以帰朝俸賜有限費用至広当厚自齎装既帰有司之籍則無及矣遣後主入治装禆将梁逈田欽祚皆力争以為茍有不虞咎将誰執彬曰非爾所知観煜神器懦夫女子之不若豈能自引決哉煜果無他彬遣五百人為搬致輜重登舟後主既失国殊無心問家計所賫特鮮矣

書き下し

彬累々告げしむ、城中に大軍決して取らん、十一月二十七日城を破らん、宜しく早く之が圖を為すべしと。後主將に其の愛子清源郡公仲寓を遣わして入覲せしめんとす。仲冬下旬に至り、日日期を克す。仲寓未だ出でず。彬累々遣わして之を督せしめて言う、郎君寨に到らば、四面即ち攻むるを罷めんと。後主終に左右の言に惑い、以為えらく、堅壘此くの如く、天象變無し。豈に日を計りて取る可けんや。葢し敵人の言、豈に信を為すに足らんやと。但だ報じて言う、行李の物未だ備わらず、宮中の宴餞未だ畢らず。將に二十七日を以て出でしめんとすと。彬又た懇言せしむ。二十六日に至るも亦た及ぶ無し。果たして是の日を以て城陷る。軍を整え列を成して其の宮城の門に至る。後主方に門を開きて表を奉じて降を納る。彬答拜して之が為に禮を盡くす。是より先、宮中預め薪を積む。後主誓いて言う、若し社稷守を失わば、當に血屬を携えて以て火に赴くべしと。既に彬に見ゆ。彬諭すに、朝に歸せば俸賜限り有りて費用至って廣し、當に厚く自ら齎裝すべし、既に歸りて有司の籍あらば則ち及ぶ無からんと。後主を遣わして入りて裝を治めしむ。禆將梁逈・田欽祚皆な力爭して以為えらく、茍くも不虞有らば、咎將に誰にか執らんと。彬曰く、爾の知る所に非ず。煜の神器を觀るに、懦夫女子にも之れ若かず。豈に能く自ら引決せんやと。煜果たして它無し。彬五百人を遣わして為に輜重を搬致して舟に登らしむ。後主既に國を失い、殊に心を家計に問う無し。賫する所特に鮮なし。

現代語訳

曹彬はたびたび城中に告げさせた。「大軍は必ず取る。十一月二十七日に城を破る。早く手を打つがよい」。後主は愛子の清源郡公仲寓を遣わして参内させようとしていた。仲冬の下旬になり、日ごとに期日が迫った。仲寓はまだ出てこない。曹彬はたびたび人をやって督促させ、「若君が陣に着けば、四面の攻撃はただちにやめる」と伝えた。後主は結局、側近の言葉に惑わされた。「これほど堅い塁があり、天象にも変わりがない。どうして日を数えて落とせようか。だいたい敵の言うことが信用に足るものか」というのである。そしてただ、旅の支度がまだ整わず、宮中の送別の宴もまだ終わっていない、二十七日には出発させる、とだけ返した。曹彬はもう一度懇ろに伝えさせた。二十六日になっても間に合わなかった。はたしてその日に城は陥ちた。曹彬は軍を整え列を組んでその宮城の門に至った。後主はそこで門を開き、上表を奉じて降伏した。曹彬は答礼し、そのために礼を尽くした。これより先、宮中にはあらかじめ薪が積んであった。後主は誓って言っていた。「もし社稷を守りきれなければ、血縁の者を連れて火に入る」と。曹彬に会うと、曹彬はこう諭した。「都に帰れば俸禄と下賜には限りがあり、費用はきわめてかさみます。手厚くご自身で荷を用意なさい。帰ってから役所の帳簿に載ってしまえば、もう間に合いません」。そして後主を宮に入らせて荷を整えさせた。副将の梁逈と田欽祚はみな力を尽くして争い、「もし万一のことがあったら、その咎は誰が負うのか」と言った。曹彬は言った。「おまえたちの知るところではない。李煜という人の器量を見るに、臆病な男や女にも及ばない。どうして自ら命を絶てようか」。李煜ははたして何事もなかった。曹彬は五百人を遣わして荷を運ばせ、舟に乗せた。後主は国を失って、まったく家の財に心を向けなかった。持って出たものはごくわずかだった。

解説

落城の日取りを先に相手へ通告し、そのつど降りる道を示し続けた条です。**若君が陣に着けば四面の攻撃をやめる**、とまで言っています。後主は側近の言葉に惑わされ、支度が整わないと返して、そのまま二十七日に城が陥ちました。降伏の場面で曹彬がまずしたのは答礼でした。そして助言をひとつ。都へ行けば費用がかさむ、いま自分で荷を整えておかないと役所の帳簿に載ってからでは間に合わない、と。副将たちは自害されたら誰が責任を取るのかと反対しますが、曹彬は相手の器量を見切っていました。

この章句が説くこと

郎君寨に到らば四面即ち攻むるを罷めん当に厚く自ら齎装すべし既に帰りて有司の籍あらば則ち及ぶ無からん後主方に門を開きて表を奉じて降を納る彬答拝して之が為に礼を尽くす通告降伏配慮

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