宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
有詔選后并令侍從禮官講求禮制公上疏言四事一曰族姓二曰女徳三曰隆禮四曰博議又與諸公討論講議約先王之禮參酌其宜為禮上之及中宮初建又解家人卦以獻
新字:有詔選后并令侍従礼官講求礼制公上疏言四事一曰族姓二曰女徳三曰隆礼四曰博議又与諸公討論講議約先王之礼参酌其宜為礼上之及中宮初建又解家人卦以献
書き下し
詔有りて后を選ぶ。并びに侍從・禮官をして禮制を講求せしむ。公疏を上りて四事を言う。一に曰く族姓、二に曰く女德、三に曰く隆禮、四に曰く博議。又た諸公と討論講議し、先王の禮を約し、其の宜しきを參酌して禮と爲して之を上る。中宮初めて建つに及び、又た家人の卦を解して以て獻ず。
現代語訳
詔が下って皇后を選ぶことになった。あわせて侍従と礼官に礼の制度を調べさせた。范祖禹は上疏して四つの事を述べた。第一に族姓(家柄)、第二に女徳(人柄)、第三に隆礼(礼を厚くすること)、第四に博議(広く議論すること)。さらに諸公と討論し議論を重ね、先王の礼をまとめ、その適切なところを斟酌して礼の次第とし、これを上呈した。皇后がはじめて立てられると、さらに『易』の家人の卦を解いて献上した。
解説
皇后選びに、四つの物差しを立てた条です。三つは選び方と扱い方の話ですが、四つ目だけ性質が違います。第四に博議(広く議論すること)。誰を選ぶかと同時に、どう決めるかを条件に入れました。密室で決めない、というのが基準の一つになっています。そして立った後にも一手を打ちました。皇后がはじめて立てられると、さらに『易』の家人の卦を解いて献上した。家人の卦は、家の内をどう治めるかを説く卦です。
この章句が説くこと
詔有りて后を選ぶ并びに侍従・礼官をして礼制を講求せしむ一に曰く族姓二に曰く女徳三に曰く隆礼四に曰く博議先王の礼を約し其の宜しきを参酌して礼と為して之を上る中宮初めて建つに及び又た家人の卦を解して以て献ず選定基準
関連する章句
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史記 礼書天地以て合し、日月以て明らかに、四時以て序し、星辰以て行き、江河以て流れ、万物以て昌え、好悪以て節あり、喜怒以て当たる。以て下と為れば則ち順に、以て上と為れば則ち明らかなり。太史公曰く、至れるかな。隆を立てて以て極と為し、而して天下之を能く益損する莫し。本末相順ひ、終始相応じ、至文以て辨ずる有り、至察以て説く有り。天下之に従ふ者は治まり、従はざる者は乱る。之に従ふ者は安く、従はざる者は危ふし。小人は則る能はざるなり。礼の貌は誠に深し、堅白同異の察も、焉に入りて弱し。其の貌は誠に大なり、擅に典制を作る褊陋の説も、焉に入りて望む。其の貌は誠に高し、暴慢恣睢、俗を軽んじて以て高しと為すの属も、焉に入りて隊つ。故に縄誠に陳ぬれば、則ち欺くに曲直を以てすべからず。衡誠に県くれば、則ち欺くに軽重を以てすべからず。規矩誠に錯けば、則ち欺くに方員を以てすべからず。君子礼を審らかにすれば、則ち欺くに詐偽を以てすべからず。故に縄とは直の至りなり。衡とは平の至りなり。規矩とは方員の至りなり。礼とは人道の極なり。然り而して礼に法らざる者は礼に足らず、之を無方の民と謂ふ。礼に法り礼に足る、之を有方の士と謂ふ。礼の中に、能く思索する、之を能く慮ると謂ふ。能く慮りて易はらざる、之を能く固しと謂ふ。能く慮り能く固く、加ふるに之を好む、聖なり。天とは高の極なり。地とは下の極なり。日月とは明の極なり。無窮とは広大の極なり。聖人とは道の極なり。財物を以て用と為し、貴賤を以て文と為し、多少を以て異と為し、隆殺を以て要と為す。文貌繁く、情欲省くは、礼の隆なり。文貌省き、情欲繁きは、礼の殺なり。文貌情欲相内外表裏を為し、并び行はれて雑はるは、礼の中流なり。君子は上は其の隆を致し、下は其の殺を尽くし、而して中は其の中に処る。
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『弁道』第六則後儒多く学者に強ふるに、高妙精微、凡人の為す能はざる所の者を以てし、而して聖人是を以て極を立つと曰ふ。妄なるかな。先王の極を立つとは、礼を謂ふなり。漢儒極を訓じて中と為す。礼は中を教ふる所以なり。又た中庸の書を解して、子思礼の意を説くと謂ふ。其の説未だ当たらずと雖も、之を要するに古を去ること未だ遠からず、師弟の伝授する所、古義猶ほ存する者のみ。蓋し先王の礼を制するや、賢者は俯して之に就き、不肖者は企てて之に及ぶ。是れ所謂極なり。是れ凡人の能く為す所の者なり。爾らずして、務めて凡人の為す能はざる所の者を以て之を強ふるは、是れ天下の人をして善に絶望せしむるなり。豈に先王の天下を安んずるの道ならんや。故に所謂事理当然の極、及び気質を変化し、学びて聖人と為るの類は、皆先王孔子の教への旧に非ず。近世伊氏能く其の是に非ざるを知る。而るに廼ち孝弟仁義を以て規矩準縄と謂為す。果たして是くの若きか、則ち人人自ら其の意を以て孝弟仁義と為すなり。亦た何の準とする所あらんや。寸無きの尺、星無きの称と謂ふべきのみ。
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『春秋左氏伝』哀公七年 呉、百牢を徴す七年春、宋の師鄭を侵す。鄭晉に叛くが故なり。晉の師衛を侵す。衛服せざればなり。夏、公、吳に鄫に會す。吳來りて百牢を徵す。子服景伯對へて曰く、「先王未だ之れ有らざるなり」と。吳人曰く、「宋は我を百牢にせり。魯は以て宋に後るべからず。且つ魯は晉の大夫を牢すること十を過ぐ。吳王百牢、亦た可ならずや」と。景伯曰く、「晉の范鞅、貪りて禮を棄て、大國を以て敝邑を懼れしむ。故に敝邑之を十一牢にせり。君若し禮を以て諸侯に命ぜば、則ち數有らん。若し亦た禮を棄てば、則ち淫なる者有らん。周の王たるや、禮を制し物を上(たふと)ぶこと、十二を過ぎず。以て天の大數と為すなり。今周の禮を棄てて、必ず百牢と曰ふは、亦た唯だ執事のままなり」と。吳人聽かず。景伯曰く、「吳將に亡びんとす。天を棄てて本に背く。與へずんば、必ず疾を我に棄てん」と。乃ち之を與ふ。太宰嚭、季康子を召す。康子、子貢をして辭せしむ。大宰嚭曰く、「國君は道長くして、大夫は門を出でず。此れ何の禮ぞや」と。
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『弁名』禮周礼の「礼を以て中を教ふ」、是れ或いは釈者の言、誤りて経文に入る者のみ。然れども亦た古の言なり。蓋し先王の礼を立つる、以て民の極と為す。極は中なり。賢者をして俯して之に就き、不肖者をして企てて之に及ばしむ。故に之を中と謂ふ。人をして過不及無きの理を求めて以て礼と為さしむるに非ざるなり。書に曰く、「民の心中罔し、惟れ爾の中」と。是れ所謂中とは、聖人の独り知る所にして、衆人の及ぶ所に非ず。故に礼を立てて以て民の極と為すなり。後世義理の学盛んにして、儒者唯だ義理を是れ視、礼に就きて以て其の中を求むるを知らず、徒らに其の臆に中るを取りて、是れ以て礼に合ふべしと謂ふ。周子の中正を以て礼智に易ふるが如き是れなり。人間北を看て南と成し、東家の西は、西家東と為す。恣に其の意を以て之を言へば、中是に於てか移り、極是に於てか壊る。豈に悲しからずや。且つ聖人の礼を立つるや、世の日に文に趨くを慮る。故に其の以て中と為す者、豈に必ずしも過不及無きの謂ならんや。学者之を思へ。
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『墨子』非攻中子墨子言いて曰く、「古者、王公大人の、政を國家に為す者は、情に之を譽むること審らかに、賞罰の當たり、刑政の過失せざるを欲す」と。
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『墨子』節用中古者、聖王、制して衣服の法を為りて曰く、「冬は紺緅の衣を服て輕くして且つ暖かく、夏は絺綌の衣を服て輕くして且つ凊しければ、則ち諸を止む」と。費を加えて民の利に加えざる者は、聖王、為さず。

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