宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
然小不應格推賞不及公為言於朝請以巳之年勞改朝散郎階為直方賞朝廷不從其後吏部以公當遷以符㑹公考公自謂已許直方卒不報
新字:然小不応格推賞不及公為言於朝請以巳之年労改朝散郎階為直方賞朝廷不従其後吏部以公当遷以符会公考公自謂已許直方卒不報
書き下し
然れども小しく格に應ぜず、推賞及ばず。公爲に朝に言い、己の年勞を以て朝散郎の階に改むるを直方の賞と爲さんことを請う。朝廷從わず。其の後吏部公の當に遷るべきを以て、符を以て公の考に會す。公自ら已に直方に許すと謂い、卒に報ぜず。
現代語訳
ところがわずかに規定に合わず、賞の推挙は及ばなかった。公はそのために朝廷に申し上げ、自分の年功によって朝散郎の階に改められる分を、李直方の賞に充てることを願い出た。朝廷は従わなかった。その後、吏部は公が昇進すべき時期にあたるとして、公文書をもって公の考課に照らし合わせた。公は自分がすでに李直方に譲ると言った以上と考え、ついに返答しなかった。
解説
約束が果たせなかった後の話です。規定にわずかに合わず、賞は出ませんでした。次にしたのが、自分の昇進を振り替える願いです。**自分の年功によって朝散郎の階に改められる分を、李直方の賞に充てることを願い出た。****朝廷は従わなかった。**これで二度、果たせていません。それでも受け取りませんでした。**公は自分がすでに李直方に譲ると言った以上と考え、ついに返答しなかった。**譲ると言った時点で、自分のものではなくなっている。
この章句が説くこと
然れども小しく格に応ぜず推賞及ばず己の年労を以て朝散郎の階に改むるを直方の賞と為さんことを請う朝廷従わず其の後吏部公の当に遷るべきを以て符を以て公の考に会す公自ら已に直方に許すと謂い卒に報ぜず賞譲る
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