宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
先生尤患隋唐以來仕進尚文詞而遺經業茍趨禄利及為蘇湖二州教授嚴條約以身先之雖大暑必公服終日以見諸生解經至有要義懇懇為諸生言其所以治巳而後治乎人者學徒千數日月刮劘為文章皆傳經義必以理勝信其師説敦尚行實後為太學四方歸之庠舍不能容旁拓歩軍居以廣之五經異論弟子記之目為胡氏口義
新字:先生尤患隋唐以来仕進尚文詞而遺経業茍趨禄利及為蘇湖二州教授厳条約以身先之雖大暑必公服終日以見諸生解経至有要義懇懇為諸生言其所以治巳而後治乎人者学徒千数日月刮劘為文章皆伝経義必以理勝信其師説敦尚行実後為太学四方帰之庠舎不能容旁拓歩軍居以広之五経異論弟子記之目為胡氏口義
書き下し
先生、尤も患う、隋唐以來、仕進に文詞を尚びて經業を遺て、苟くも禄利に趨るを。蘇・湖二州の教授と爲るに及び、條約を嚴にして、身を以て之に先んず。大暑と雖も必ず公服して終日、以て諸生に見ゆ。經を解して要義有るに至れば、懇懇として諸生の爲に、其の己を治めて而る後に人を治むる所以の者を言う。學徒千數、日月に刮劘し、文章を爲るに皆經義を傳え、必ず理を以て勝る。其の師説を信じ、行實を敦く尚ぶ。後、太學と爲るや、四方之に歸し、庠舍容るる能わず、旁ら歩軍の居を拓きて以て之を廣む。五經の異論、弟子之を記して、目して胡氏口義と爲す。
現代語訳
胡瑗がとりわけ心を痛めていたのは、隋・唐以来、官に進むのに文章のうまさばかりが尊ばれて経書の学が捨て置かれ、いいかげんに禄と利へ走ることだった。蘇州・湖州二州の教授になると、規則を厳しくし、まず自分がそれを守った。真夏でも必ず公服を着て、一日中そのまま学生に会った。経書を解いて要となる意味にさしかかると、ねんごろに学生たちへ、まず自分を治め、そのうえで人を治めるという道筋を説いた。学生は千を数え、日々みがき合い、文章を書けばみな経書の意味を伝えるもので、必ず理屈のほうで勝った。師の説を信じ、行いの実を篤く尊んだ。後に太学の教官になると、四方から人が集まり、校舎に入りきらず、隣の歩兵の宿舎まで広げて収めた。五経についてのさまざまな説は、弟子が書き取って『胡氏口義』と名づけた。
解説
この章句が説くこと
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