宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
一日侍上語及諸葛亮魏鄭公公對曰陛下誠能為堯舜則必有皐夔稷契陛下誠能為髙宗則必有傅説魏鄭公諸葛亮皆有道者所羞何足道哉但恐陛下擇術未明推誠未至則雖有皋夔稷契傅説之賢亦為小人所蔽因巻懐而去耳上曰自古治世豈能使朝廷無小人雖堯舜之時不能無四凶公曰惟能辨四凶而誅之此乃所以為堯舜也若使四凶得肆其䜛慝則皐夔稷契亦安肯茍食其禄以終身乎未幾遂參大政
新字:一日侍上語及諸葛亮魏鄭公公対曰陛下誠能為堯舜則必有皐夔稷契陛下誠能為高宗則必有傅説魏鄭公諸葛亮皆有道者所羞何足道哉但恐陛下択術未明推誠未至則雖有皋夔稷契傅説之賢亦為小人所蔽因巻懐而去耳上曰自古治世豈能使朝廷無小人雖堯舜之時不能無四凶公曰惟能弁四凶而誅之此乃所以為堯舜也若使四凶得肆其讒慝則皐夔稷契亦安肯苟食其禄以終身乎未幾遂参大政
書き下し
一日上に侍し、語諸葛亮・魏鄭公に及ぶ。公對えて曰く、陛下誠に能く堯舜と爲らば則ち必ず皋・夔・稷・契有らん。陛下誠に能く髙宗と爲らば則ち必ず傅説有らん。魏鄭公・諸葛亮は皆有道者の羞ずる所なり。何ぞ道うに足らんや。但だ恐る、陛下の術を擇ぶこと未だ明らかならず、誠を推すこと未だ至らずんば、則ち皋・夔・稷・契・傅説の賢有りと雖も、亦た小人の蔽う所と爲り、因りて懷を巻きて去らんのみと。上曰く、古より治世、豈に能く朝廷をして小人無からしめんや。堯舜の時と雖も四凶無き能わずと。公曰く、惟だ能く四凶を辨じて之を誅す。此れ乃ち堯舜爲る所以なり。若し四凶をして其の讒慝を肆にするを得しめば、則ち皋・夔・稷・契も亦た安んぞ肯えて苟くも其の禄を食みて以て身を終えんやと。未だ幾ならずして遂に大政に參ず。
現代語訳
ある日、天子に侍していて、話が諸葛亮と魏徴に及んだ。王安石は答えて言った。「陛下がまことに堯舜となられるなら、必ず皋陶・夔・稷・契のような者が現れます。陛下がまことに高宗となられるなら、必ず傅説が現れます。魏徴や諸葛亮は、道ある者からすれば恥じるところです。語るに足りましょうか。ただ恐れますのは、陛下が道筋を選ぶことがまだ明らかでなく、まことを推し及ぼすことがまだ足りなければ、たとえ皋陶・夔・稷・契・傅説のような賢者があっても、小人に覆い隠されて、そのまま志を巻いて去ってしまうことです」。天子は言った。「古来の治まった世でも、朝廷に小人がいないようにできようか。堯舜の時でさえ四凶がいた」。王安石は言った。「ただ四凶を見分けて誅することができた。これこそ堯舜である理由です。もし四凶にその讒言と邪心をほしいままにさせておけば、皋陶・夔・稷・契とて、どうしていい加減にその禄を食んで一生を終える気になりましょうか」。ほどなくして、ついに大政に加わった。
解説
この章句が説くこと
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