宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
三司使掌天下財不才而黜可也不可使兩府侵其事今為制置三司條例司何也宰相以道佐人主尚安用例茍用例則胥吏足矣今為看詳中書條例司何也惠卿不能對則詆公曰光為侍從何不言言而不從何不去公作而答曰是臣之罪也上曰相與論是非爾何至是
新字:三司使掌天下財不才而黜可也不可使両府侵其事今為制置三司条例司何也宰相以道佐人主尚安用例茍用例則胥吏足矣今為看詳中書条例司何也恵卿不能対則詆公曰光為侍従何不言言而不従何不去公作而答曰是臣之罪也上曰相与論是非爾何至是
書き下し
三司使は天下の財を掌る。不才にして黜くるは可なり。兩府をして其の事を侵さしむ可からず。今制置三司條例司を爲すは何ぞや。宰相は道を以て人主を佐く。尚お安んぞ例を用いん。苟くも例を用うれば則ち胥吏足れり。今看詳中書條例司を爲すは何ぞや。惠卿對うる能わず。則ち公を詆りて曰く、光は侍從と爲る。何ぞ言わざる。言いて從われずんば何ぞ去らざるやと。公作ちて答えて曰く、是れ臣の罪なりと。上曰く、相い與に是非を論ずるのみ。何ぞ是に至らんやと。
現代語訳
三司使は天下の財を司ります。才がなければ罷免すればよい。中書・枢密にその職務を侵させるべきではありません。いま制置三司条例司を設けるのは、どういうことですか。宰相は道によって君主を輔けるものです。どうして先例など用いましょうか。かりに先例を用いるだけなら、下役で足ります。いま看詳中書条例司を設けるのは、どういうことですか」。呂恵卿は答えられなかった。そこで司馬光をそしって言った。「光は侍従の職にある。どうして言わないのか。言って従われないなら、どうして去らないのか」。司馬光は立ち上がって答えて言った。「それは臣の罪です」。天子は言った。「互いに是非を論じているだけである。どうしてそこまでに至るのか」。
解説
新設された二つの司について、それぞれ既存の職掌との重なりを突いています。**才がなければ罷免すればよい。中書・枢密にその職務を侵させるべきではありません。****宰相は道によって君主を輔けるものです。どうして先例など用いましょうか。**答えられなくなった側が、論から人に移りました。**どうして言わないのか。言って従われないなら、どうして去らないのか。**司馬光は反論せず、受けています。**それは臣の罪です。**天子が場を戻しました。
この章句が説くこと
三司使は天下の財を掌る不才にして黜くるは可なり宰相は道を以て人主を佐く尚お安んぞ例を用いん光は侍従と為る何ぞ言わざる言いて従われずんば何ぞ去らざるや公作ちて答えて曰く是れ臣の罪なり論破人身攻撃
関連する章句
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光上曰く、今天下の詾詾たるは、孫叔敖の所謂國の是有るは衆の惡む所なり、かと。光曰く、然り。陛下は當に其の是非を審察して然る後に之を守るべし。今條例司の爲す所は、獨り安石・韓絳・惠卿のみ以て是と爲し、天下は皆以て非と爲すなり。陛下豈に能く獨り此の三人と共に天下を爲さんやと。遂に退く。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光安石制置三司條例司を創立し、青苗・□役・水利・均輸の政を建て、提舉官四十餘員を置く。公上疏して逆め其の利害を陳ぶ。後に當に是くの如くなるべし。之を行うこと十餘年、一として公の言の如くならざるは無し。天下傳誦して、公を以て眞の宰相と爲す。田父野老と雖も皆號して司馬相公と爲し、而して婦人孺子も其の君實たるを知るなり。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光門下侍郎に拜せらる。元豐の末、天下多故。二聖位を嗣ぎ、民日夜領を引きて以て新政を觀る。而して説を進むる者以爲えらく、三年父の道を改むる無しと。稍ミ其の重き者を損じ、毛のごとく數事を舉げて以て人言を塞がんと欲す。公慨然として之を爭いて曰く、先帝の法は其の善き者は百世變ぜずと雖も可なり。若し安石・惠卿等の建つる所にして天下の害と爲り、先帝の本意に非ざる者は、之を改むること當に焚を捄い溺を拯うが如くすべし。猶お及ばざるを恐る。况んや太皇太后は母を以て子を改む。子の父を改むるに非ずと。衆議乃ち定まる。
-
『宋名臣言行録』後集巻十・韓絳公の相に入るは王荊公の後を繼ぐ。政事に未だ便ならざる者有らば、賢士大夫或いは置きて用いず。公將に更易して之を振舉せんとす。奏す、古者冢宰は國用を制す。今天下の財用の出入は宰相乃ち預り聞かずと。始めて局を中書に置き、天下の財用の數を稽考し、入を量りて以て出と爲す。司馬光を援用せんとす。上曰く、吾光に於いて豈に愛しむ所有らんや。顧だ光未だ肯えて來たらざるのみと。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光退くに及び、上光を留めて謂いて曰く、呂公著は藩鎮の晉陽の甲を興さんと欲すと言えり。豈に讒説殄行に非ずやと。光曰く、公著は平居儕輩と言うにも猶お三思して發す。何の故に上前に輕く發すること乃ち爾らんや。外人多く其の然らざるを疑うと。上曰く、此れ所謂静言庸違なる者なりと。光曰く、公著に誠に罪有り。今日に在らず。向者、朝廷公著に委ねて專ら臺官を舉げしむ。公著乃ち盡く條例司の人を舉げて、條例司と互いに相い表裏し、熾張せしむること此くの如し。乃ち始めて公議に逼られて復た其の非を言う。此れ罪とす可き所なりと。
-
『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光上又た曰く、安石は何如と。光曰く、人の安石を姦邪と言うは則ち之を毀ること太だ過ぐ。但だ事を曉らず、又た執拗なるのみと。上曰く、韓琦は敢えて事に當たる。富弼に賢れり。但だ木強なるのみと。光曰く、琦は實に國家に忠なるの心有り。但だ非を遂ぐるを好む。此れ其の短ずる所なりと。上因りて問いて呂惠卿に至る。光曰く、惠卿は憸巧にして佳士に非ず。安石をして謗を負わしむるは中外皆惠卿の爲す所なり。近日不次に進用す。大いに衆心に合わずと。上曰く、惠卿は明辨、亦た美才に似たりと。光曰く、惠卿の文學辨慧は誠に聖旨の如し。然れども用心は端ならず。陛下更に徐ろに之を察せよ。江充・李訓、若し才無くんば何を以て人主を動かさんと。