宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
英宗雅好稽古詔光編次厯代君臣事仍謂光曰卿自擇館閣英才共修之光對曰館閣文學之士誠多至於專精史學臣所得而知者惟和川令劉恕一人而巳上曰善退即奏召之與共修書史事之紛錯難治者則以委之光䝉成而巳
新字:英宗雅好稽古詔光編次歴代君臣事仍謂光曰卿自択館閣英才共修之光対曰館閣文学之士誠多至於専精史学臣所得而知者惟和川令劉恕一人而巳上曰善退即奏召之与共修書史事之紛錯難治者則以委之光䝉成而巳
書き下し
英宗雅より稽古を好む。詔して光をして歷代君臣の事を編次せしむ。仍お光に謂いて曰く、卿自ら館閣の英才を擇びて共に之を修めよ、と。光對えて曰く、館閣の文學の士は誠に多し。史學に專精するに至りては、臣の得て知る所の者は、惟だ和川令劉恕一人のみ、と。上曰く、善し、と。退きて即ち奏して之を召し、與に共に書を修む。史事の紛錯して治め難き者は、則ち以て之に委ぬ。光成るを蒙るのみ。
現代語訳
英宗はかねてから古を調べることを好んだ。詔を下して司馬光に歴代の君臣の事を編年で並べさせた。そのうえで司馬光に言った。「そなた自ら館閣の英才を選んで、ともに編纂せよ」。司馬光は答えて言った。「館閣に文学の士はまことに多くおります。しかし史学に専心している者となりますと、臣の知っております者は、ただ和川令の劉恕ひとりだけです」。天子は言った。「よろしい」。司馬光は退出するとすぐに上奏して劉恕を召し、ともに書を編纂した。史料が入り組んで扱いにくいものは、これに委ねた。司馬光はできあがったものを受け取るだけであった。
解説
人を選べと言われて、司馬光がまず区別を立てました。館閣に文学の士はまことに多くおります。しかし史学に専心している者となりますと。文章が書ける人と、史料を扱える人は別だ、ということです。そして候補を絞りません。一人だけ挙げました。臣の知っております者は、ただ和川令の劉恕ひとりだけです。任せ方も徹底しています。史料が入り組んで扱いにくいものは、これに委ねた。司馬光はできあがったものを受け取るだけであった。
この章句が説くこと
卿自ら館閣の英才を択びて共に之を修めよ館閣の文学の士は誠に多し史学に専精するに至りては臣の得て知る所の者は惟だ和川令劉恕一人のみ史事の紛錯して治め難き者は則ち以て之に委ぬ人選専門
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