宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
被召撰唐書又自撰五代史其為紀一用春秋法於唐禮樂志明前世禮樂之本出於一而後世禮樂為空名五行志不書事應盡破漢儒災異附㑹之說其論著類此五代史辭約而事備及正前史之失為尤多
新字:被召撰唐書又自撰五代史其為紀一用春秋法於唐礼楽志明前世礼楽之本出於一而後世礼楽為空名五行志不書事応尽破漢儒災異附会之説其論著類此五代史辞約而事備及正前史之失為尤多
書き下し
召されて唐書を撰す。又た自ら五代史を撰す。其の紀を爲るは一に春秋の法を用う。唐の禮樂志に於いては、前世の禮樂の本の一より出でて、後世の禮樂の空名と爲るを明らかにす。五行志には事應を書かず、盡く漢儒の災異附會の說を破る。其の論著は此に類す。五代史は辭約にして事備わり、及び前史の失を正すこと尤も多しと爲す。
現代語訳
召されて『唐書』を撰した。また自ら『五代史』を撰した。その本紀を書くには、一貫して春秋の法を用いた。唐の礼楽志では、前代の礼楽の根本が一つのところから出ていたのに、後世の礼楽が中身のない名前だけになったことを明らかにした。五行志では、天変とそれに対応する人事を書かず、漢の儒者たちが災異をこじつけた説をことごとく破った。その論じ著すところは、この類である。『五代史』は言葉が簡潔で事実が備わっており、また前の史書の誤りを正したところがとりわけ多い。
解説
史書の中で、書かないことによって説を破った条です。五行志は本来、天変とそれに応じた人事を対にして並べる章でした。**五行志では、天変とそれに対応する人事を書かず、漢の儒者たちが災異をこじつけた説をことごとく破った。**反論を書くのではなく、対応関係の欄を空にしています。同じころ、富弼は「災異は天数だ」という説を、諫言の足場を外す策略として警戒していました。同じ問題に、政治家と史家がまったく違う位置から向き合っています。
この章句が説くこと
其の紀を為るは一に春秋の法を用う前世の礼楽の本の一より出でて後世の礼楽の空名と為るを明らかにす五行志には事応を書かず尽く漢儒の災異附会の説を破る五代史は辞約にして事備わり前史の失を正すこと尤も多し史書災異
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