宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
伯溫常論紹聖建中靖國之初朝廷邪正治亂未定之際皆為一李清臣以私意幸相位壞之邪説既勝衆小人並進清臣自亦不能立於朝矣使清臣在紹聖初同范丞相在建中靖國初同范右丞劉安世吕希純張舜民以公議正論共濟國事則朝廷無後日之禍而清臣亦得相位享美名矣此忠臣義士惜一時治亂之機為之流涕者也
新字:伯温常論紹聖建中靖国之初朝廷邪正治乱未定之際皆為一李清臣以私意幸相位壊之邪説既勝衆小人並進清臣自亦不能立於朝矣使清臣在紹聖初同范丞相在建中靖国初同范右丞劉安世呂希純張舜民以公議正論共済国事則朝廷無後日之禍而清臣亦得相位享美名矣此忠臣義士惜一時治乱之機為之流涕者也
書き下し
伯温常に論ずるに、紹聖・建中靖國の初め、朝廷の邪正治亂未だ定まらざるの際、皆一の李清臣の私意を以て相位を幸いて之を壞せしと爲す。邪説既に勝ち衆小人並び進む。清臣も自ら亦た朝に立つ能わざるなり。清臣をして紹聖の初めに范丞相と同じくし、建中靖國の初めに范右丞・劉安世・呂希純・張舜民と同じくして、公議正論を以て共に國事を濟さしめば、則ち朝廷に後日の禍無く、而して清臣も亦た相位を得て美名を享けん。此れ忠臣義士の一時治亂の機を惜しみて之が爲に流涕する者なり。
現代語訳
邵伯温はつねづね論じて、紹聖と建中靖国のはじめ、朝廷の邪正・治乱がまだ定まらない時期に、いずれも一人の李清臣が私意によって宰相の位を望んで、これを壊したのだとしている。よこしまな説が勝ち、多くの小人がそろって進んだ。李清臣自身もまた朝廷に立てなくなった。もし李清臣が紹聖のはじめに范純仁と同じ側に立ち、建中靖国のはじめに范純礼・劉安世・呂希純・張舜民と同じ側に立って、公の議論と正しい論をもってともに国事を全うしていたなら、朝廷に後日の禍はなく、李清臣もまた宰相の位を得て美名を受けたであろう。これは忠臣義士が、一時の治乱の分かれ目を惜しんで、そのために涙を流すところである。
解説
二度の分かれ目が、同じ一人によって同じように壊された、という見立てです。**いずれも一人の李清臣が私意によって宰相の位を望んで、これを壊した。**そして結末が皮肉でした。**李清臣自身もまた朝廷に立てなくなった。**望んだ位も得られていません。そのうえで、もう一つの道が書かれます。**もし同じ側に立っていたなら、朝廷に後日の禍はなく、李清臣もまた宰相の位を得て美名を受けたであろう。**望んだものが、正道を行けば手に入っていた。
この章句が説くこと
皆一の李清臣の私意を以て相位を幸いて之を壊せしと為す邪説既に勝ち衆小人並び進む清臣も自ら亦た朝に立つ能わざるなり公議正論を以て共に国事を済さしめば則ち朝廷に後日の禍無し而して清臣も亦た相位を得て美名を享けん岐路私意
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