宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公帥邠延涇慶四郡威徳著聞夷夏聳服熟戸蕃部率稱為龍圖老子至元昊亦以此呼之
新字:公帥邠延涇慶四郡威徳著聞夷夏聳服熟戸蕃部率称為竜図老子至元昊亦以此呼之
書き下し
公、邠・延・涇・慶の四郡を帥い、威徳著聞す。夷夏聳服す。熟戸・蕃部、率ね稱して龍圖老子と為す。元昊に至るまで亦た此を以て之を呼ぶ。
現代語訳
公は邠州・延州・涇州・慶州の四郡を率い、威と徳が広く知られた。異民族も漢人も畏れ服した。帰順した戸や部族はたいてい「竜図老子」と呼んだ。趙元昊までもがそう呼んだ。
解説
三十五字の条です。**帰順した部族が「竜図老子」と呼び、趙元昊までもがそう呼んだ。**竜図閣直学士だったのでその呼び名です。敵の総大将が、こちらの官職を織り込んだ愛称で呼んでいる。前の条の「小范老子」と合わせると、この人の名がどこまで届いていたかが分かります。威徳が広く知られ、異民族も漢人も畏れ服した——ひとことで言えばそれだけの条ですが、呼び名という証拠が付いています。
この章句が説くこと
公邠延涇慶の四郡を帥い威徳著聞す熟戸蕃部率ね称して竜図老子と為す元昊に至るまで亦た此を以て之を呼ぶ威名呼称辺境
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