宋名臣言行録 / 後集巻五・彭思永
茍亂大倫人理滅矣陛下仁廟之子則曰父曰考曰親乃仁廟也若更稱濮王為親是有二親臣以為當以濮王之子襲爵奉祀尊稱濮王為濮國太王凡百禮數必皆稱情借如既置嗣襲必伸祭告當曰姪嗣皇帝名敢昭告于皇伯父濮國太王自然在濮王極尊崇之道於仁皇無嫌貳之失矣
新字:茍乱大倫人理滅矣陛下仁廟之子則曰父曰考曰親乃仁廟也若更称濮王為親是有二親臣以為当以濮王之子襲爵奉祀尊称濮王為濮国太王凡百礼数必皆称情借如既置嗣襲必伸祭告当曰姪嗣皇帝名敢昭告于皇伯父濮国太王自然在濮王極尊崇之道於仁皇無嫌貳之失矣
書き下し
苟くも大倫を亂さば人理滅ぶ。陛下は仁廟の子なれば、則ち父と曰い考と曰い親と曰うは乃ち仁廟なり。若し更に濮王を稱して親と爲さば、是れ二親有り。臣以爲えらく、當に濮王の子を以て爵を襲ぎ祀を奉ぜしめ、濮王を尊稱して濮國太王と爲すべし。凡百の禮數は必ず皆情に稱わん。借如し既に嗣襲を置かば必ず祭告を伸べん。當に姪嗣皇帝名、敢えて昭かに皇伯父濮國太王に告すと曰うべし。自然に濮王に在りては尊崇の道を極め、仁皇に於いては嫌貳の失無からん。
現代語訳
「もし大いなる倫理を乱せば、人の道理は滅びます。陛下は仁宗の子ですから、父と言い考と言い親と言うのは、すなわち仁宗のことです。もしそのうえ濮王を親と称すれば、それは親が二人あることになります。臣が思いますに、濮王の子に爵位を継がせて祭祀を奉じさせ、濮王を尊んで濮国太王と称すべきです。あらゆる礼の数は、必ずどれも情にかないましょう。たとえば、継嗣を立てたからには必ず祭りの告文を述べることになります。そのときは『姪にして嗣皇帝の某、謹んで皇伯父濮国太王に申し上げます』と書くべきです。そうすれば自然に、濮王に対しては尊び崇める道を極め、仁宗に対しては二心を疑われる失がなくなります」。
解説
名分論を、実際の文面まで書き下ろして決着させています。**『姪にして嗣皇帝の某、謹んで皇伯父濮国太王に申し上げます』と書くべきです。**議論だけなら平行線になるところを、祭文の一行を提示して着地させた。しかも両方の顔が立ちます。**濮王に対しては尊び崇める道を極め、仁宗に対しては二心を疑われる失がなくなります。**尊称も与える、祭祀も継がせる。ただし呼び名だけは動かさない。争点を、譲れる部分と譲れない部分に切り分けた案でした。
この章句が説くこと
陛下は仁廟の子なれば則ち父と曰い考と曰い親と曰うは乃ち仁廟なり若し更に濮王を称して親と為さば是れ二親有り当に濮王の子を以て爵を襲ぎ祀を奉ぜしめ濮王を尊称して濮国太王と為すべし当に姪嗣皇帝名敢えて昭かに皇伯父濮国太王に告すと曰うべし名分呼称
関連する章句
-
説苑・貴德景公嬰児の途に乞ふ有るを睹て、公曰く、「是れ帰る無からんか」と。晏子対へて曰く、「君存す何為れぞ帰る無からん、養はしめば、立ちどころにして以て聞こゆべし」と。
-
論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
-
牧民忠告・拜命吏人は蓋(けだ)し法律を以て師と為すなり。魏相(ぎしょう)の望隆(のぞ)み当世に隆(さか)んなりし所以は、漢家の典故悉(つ)くさざる所無ければなり。凡そ仕に学ぶ者、経史の余、若(も)しくは国朝以来の典章文物のごときも、亦須(すべから)く備(つぶさ)に考え詳らかに観るべし、一旦官に入らば、庶(ちか)からんか俗吏の迂(う)とする所と為らざらんことを。
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四世主は仁義の名を美として其の實を察せず、是を以て大なる者は國亡び身死し、小なる者は地削られ主卑し。
-
牧民忠告・聽訟昔嘗て外に使いして、過ぐる所の州県、問いを待つ者門に雲集(うんしゅう)し、毎(つね)に焉(これ)を病めり。乃(すなわ)ち一能吏(のうり)に命じて其の告ぐる所を簿(ぼ)せしめ、日(ひび)に之を省(かえり)み、日に之を遣(や)る。旬(じゅん)を浹(めぐ)らざるに、則ち訟庭(しょうてい)闃然(げきぜん)たり。
-
『塩鉄論』執務篇丞相曰く、先王の道は、軼くこと久しくして復し難く、賢良・文學の言は、深遠にして行い難し。夫れ上聖の高行を稱し、至德の美言を道うは、當世の能く及ぶ所に非ざるなり。願わくは方今の急務、政に復た行うべきものを聞かん。百姓をして咸な衣食に足り、乏困の憂い無く、風雨時あり、五穀熟し、螟螣生ぜず、天下安樂にして、盜賊起こらず、流人還り歸り、各々其の田里に反り、吏は皆廉正にして、敬みて以て職を奉じ、元元各々其の理を得しめんことを。