宋名臣言行録 / 後集巻六・王安石
然公知行于一邑則可不知行於天下不可也又所遣新法使者皆刻薄小人急於功利遂至決河為田壊人墳墓室廬膏腴之地不可勝紀青苗雖取二分之利民請納之費至十之七八又公吏冒民新舊相因其弊益繁保甲保馬尤有害天下騷然不得休息葢祖宗之法一變矣
新字:然公知行于一邑則可不知行於天下不可也又所遣新法使者皆刻薄小人急於功利遂至決河為田壊人墳墓室廬膏腴之地不可勝紀青苗雖取二分之利民請納之費至十之七八又公吏冒民新旧相因其弊益繁保甲保馬尤有害天下騷然不得休息葢祖宗之法一変矣
書き下し
然れども公は一邑に行いて則ち可なるを知りて、天下に行いて不可なるを知らざるなり。又た遣わす所の新法の使者は皆刻薄の小人にして功利に急なり。遂に河を決して田と爲し、人の墳墓・室廬・膏腴の地を壞すこと勝げて紀す可からざるに至る。青苗は二分の利を取ると雖も、民の請納の費は十の七八に至る。又た公吏は民を冒し、新舊相い因りて、其の弊益ミ繁し。保甲・保馬は尤も害有り。天下騷然として休息するを得ず。蓋し祖宗の法一變せり。
現代語訳
しかし王安石は、一つの県で行えばうまくいくことは知っていたが、天下で行えばうまくいかないことを知らなかった。そのうえ派遣した新法の使者は、みな薄情な小人であって、功と利を焦った。ついには河を切って田とし、人の墓や住まい、肥えた土地を壊すこと、数えきれないほどになった。青苗は二分の利を取るとはいえ、民が申し込んで納めるまでの費用は十のうち七、八にまで達した。そのうえ役人は民を欺き、新旧が入り混じって、その弊害はいよいよ煩雑になった。保甲と保馬にはとりわけ害があった。天下は騒然として休まることがなかった。思うに、祖宗の法はここで一変した。
解説
この巻の中心にある批判です。誤りの中身が、思想ではなく規模に置かれました。**一つの県で行えばうまくいくことは知っていたが、天下で行えばうまくいかないことを知らなかった。**執行する人が違うからです。**派遣した新法の使者は、みな薄情な小人であって、功と利を焦った。**そして数字が一つ出てきます。**青苗は二分の利を取るとはいえ、民が申し込んで納めるまでの費用は十のうち七、八にまで達した。**制度の利率ではなく、手続きの費用が本体になっていました。
この章句が説くこと
公は一邑に行いて則ち可なるを知りて天下に行いて不可なるを知らざるなり遣わす所の新法の使者は皆刻薄の小人にして功利に急なり青苗は二分の利を取ると雖も民の請納の費は十の七八に至る天下騷然として休息するを得ず蓋し祖宗の法一変せり規模実務
関連する章句
-
牧民忠告・拜命吏人は蓋(けだ)し法律を以て師と為すなり。魏相(ぎしょう)の望隆(のぞ)み当世に隆(さか)んなりし所以は、漢家の典故悉(つ)くさざる所無ければなり。凡そ仕に学ぶ者、経史の余、若(も)しくは国朝以来の典章文物のごときも、亦須(すべから)く備(つぶさ)に考え詳らかに観るべし、一旦官に入らば、庶(ちか)からんか俗吏の迂(う)とする所と為らざらんことを。
-
論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
-
『韓非子』姦劫弒臣第十四世主は仁義の名を美として其の實を察せず、是を以て大なる者は國亡び身死し、小なる者は地削られ主卑し。
-
説苑・貴德景公嬰児の途に乞ふ有るを睹て、公曰く、「是れ帰る無からんか」と。晏子対へて曰く、「君存す何為れぞ帰る無からん、養はしめば、立ちどころにして以て聞こゆべし」と。
-
孫子・用間篇孫子曰く、凡そ師十万を興し千里に出征すれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、内外騒動し、道路に怠り、事を操るを得ざる者七十万家なり。
-
牧民忠告・聽訟昔嘗て外に使いして、過ぐる所の州県、問いを待つ者門に雲集(うんしゅう)し、毎(つね)に焉(これ)を病めり。乃(すなわ)ち一能吏(のうり)に命じて其の告ぐる所を簿(ぼ)せしめ、日(ひび)に之を省(かえり)み、日に之を遣(や)る。旬(じゅん)を浹(めぐ)らざるに、則ち訟庭(しょうてい)闃然(げきぜん)たり。