宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
公自政府出歸姑蘓焚黄搜外庫惟有絹三千匹錄親戚及閭里知舊散之皆盡曰宗族鄉黨見我生長幼學壯仕為我助喜我何以報之哉
新字:公自政府出帰姑蘓焚黄捜外庫惟有絹三千匹録親戚及閭里知旧散之皆尽曰宗族鄉党見我生長幼学壮仕為我助喜我何以報之哉
書き下し
公、政府より出でて姑蘓に歸る。黄を焚き、外庫を搜すに、惟だ絹三千匹有るのみ。親戚及び閭里の知舊を錄して之を散じて皆な盡くす。曰く、宗族・鄉黨、我の生長し、幼くして學び壯にして仕うるを見る。我を助けて喜ぶ。我、何を以て之に報いんやと。
現代語訳
公は政府を出て姑蘇に帰った。墓前で黄紙を焼き、外の蔵を調べると、ただ絹が三千匹あるだけであった。親戚と近隣の旧知を書き出して、それを配ってすべて使い切った。言った。「一族と郷里の人々は、私が生まれ育ち、幼くして学び、壮年になって仕えるのを見てきた。私を助けて喜んでくれた。私は何によってそれに報いようか」。
解説
蔵にあったものを、全部配ってしまった条です。**ただ絹が三千匹あるだけであった。**それを、親戚と近隣の旧知を書き出して配り切りました。理由が過去のほうを向いています。**一族と郷里の人々は、私が生まれ育ち、幼くして学び、壮年になって仕えるのを見てきた。私を助けて喜んでくれた。**返す相手を、見ていてくれた人たちに定めている。**私は何によってそれに報いようか。**
この章句が説くこと
外庫を捜すに惟だ絹三千匹有るのみ親戚及び閭里の知旧を録して之を散じて皆な尽くす宗族鄉党我の生長し幼くして学び壮にして仕うるを見る報恩郷里施し
関連する章句
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論語・郷党篇孔子、郷党に於いて、恂恂如たり、言うこと能わざる者に似たり。其の宗廟朝廷に在るや、便便として言い、唯だ謹めるのみ。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、朱氏の長育に恩有るを以て、常に厚く之に報いんことを思う。貴きに及び、南郊の加うる所の恩を用い、朱氏の父に太常博士を贈らんことを乞う。暨び諸子、皆な公之が為に之を葬る。歳に别に饗祭を為す。朱氏の他の子弟、公の䕃を以て官に補せらるるを得る者三人。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、諸子を戒めて曰く、吾れ貧しき時、汝が母と吾が親を養う。汝が母、躬ら爨を執る。而して吾が親の甘㫖、未だ嘗て充たざるなり。今にして厚禄を得たり。以て親を養わんと欲するも、親在らず。汝が母も又た已に早世す。吾が最も恨む所の者は、忍びて若曹をして富貴の樂しみを饗けしむるなりと。