宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
公於講讀尤精語約義明可為當世之冠與司馬光同侍經筵光退語人曰毎聞晦叔講便覺已語煩
新字:公於講読尤精語約義明可為当世之冠与司馬光同侍経筵光退語人曰毎聞晦叔講便覚已語煩
書き下し
公講讀に於いて尤も精し。語約にして義明らか。當世の冠と爲す可し。司馬光と同じく經筵に侍す。光退きて人に語りて曰く、毎に晦叔の講を聞けば便ち已が語の煩わしきを覺ゆと。
現代語訳
公は講義と進読においてとりわけ精緻であった。言葉は簡潔で意味は明らかであった。当代の第一とするに足りる。司馬光と同じく経筵に侍した。司馬光は退がって人に語って言った。「晦叔の講義を聞くたびに、自分の話が煩わしく感じられる」。
解説
同じ席に並んだ人の評だから残った条です。**言葉は簡潔で意味は明らかであった。**そして比べたのが、自分でした。**晦叔の講義を聞くたびに、自分の話が煩わしく感じられる。**相手を褒める言い方をしていません。自分の癖に気づいた、と言っている。人の良いところを見て、自分の直すところが見えるという順序です。ちなみにこの二人は、後に同じ日に朝会の列を別にされ、同じ年に相次いで亡くなります。
この章句が説くこと
公講読に於いて尤も精し語約にして義明らか当世の冠と為す可し司馬光と同じく経筵に侍す毎に晦叔の講を聞けば便ち已が語の煩わしきを覚ゆ簡潔比較
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