宋名臣言行録 / 前集巻九・王禹偁
蘇東坡贊公畫像曰傳曰不有君子其能國乎余嘗三復斯言未嘗不流涕太息也如漢汲黯蕭望之李固張昭唐魏鄭公狄仁傑皆以身徇義招之不來麾之不去正色而立於朝則豺狼狐狸自相吞噬故能消禍於未形救危於將亡使皆如公孫丞相張禹胡廣雖累千百緩急豈可望哉故翰林王公元之以䧺文直道獨立當世足以追配此六君子者方是時朝廷清明無大奸慝然公猶不容於中耿然如秋霜夏日不可狎玩至於三黜以死有如不幸而居於衆邪之間安危之際則公之所爲必將驚世絶俗使斗筲穿窬之流心破膽裂豈特如此而巳乎余見公之畫像想其遺風餘烈願爲執鞭而不可得乃追爲之贊云惟昔聖賢患莫已知公遇太宗允也其時帝欲用公公不少貶三黜窮山之死靡憾咸平以來獨爲名臣一時之屈萬世之信紛紛鄙夫亦拜公像何以占之有泚其顙公能泚之不能已之茫茫九原愛莫起之
新字:蘇東坡賛公画像曰伝曰不有君子其能国乎余嘗三復斯言未嘗不流涕太息也如漢汲黯蕭望之李固張昭唐魏鄭公狄仁傑皆以身徇義招之不来麾之不去正色而立於朝則豺狼狐狸自相吞噬故能消禍於未形救危於将亡使皆如公孫丞相張禹胡広雖累千百緩急豈可望哉故翰林王公元之以䧺文直道独立当世足以追配此六君子者方是時朝廷清明無大奸慝然公猶不容於中耿然如秋霜夏日不可狎玩至於三黜以死有如不幸而居於衆邪之間安危之際則公之所為必将驚世絶俗使斗筲穿窬之流心破胆裂豈特如此而巳乎余見公之画像想其遺風余烈願為執鞭而不可得乃追為之賛云惟昔聖賢患莫已知公遇太宗允也其時帝欲用公公不少貶三黜窮山之死靡憾咸平以来独為名臣一時之屈万世之信紛紛鄙夫亦拝公像何以占之有泚其顙公能泚之不能已之茫茫九原愛莫起之
書き下し
蘇東坡、公の畫像を贊して曰く、傳に曰く、君子有らずんば、其れ能く國せんやと。余、嘗て三たび斯の言を復して、未だ嘗て流涕太息せずんばあらざるなり。漢の汲黯・蕭望之・李固・張昭、唐の魏鄭公・狄仁傑の如きは、皆な身を以て義に徇う。之を招くも來らず、之を麾えども去らず。色を正して朝に立てば、則ち豺狼狐狸、自ら相い吞噬す。故に能く禍を未形に消し、危を將亡に救う。皆な公孫丞相・張禹・胡廣の如くならしめば、千百を累ぬと雖も、緩急、豈に望む可けんや。故に翰林王公元之、䧺文・直道を以て當世に獨立す。以て此の六君子に追配するに足る。是の時に方たり、朝廷清明にして大奸慝無し。然れども公猶お中に容れられず。耿然として秋霜・夏日の如く、狎玩す可からず。三黜して以て死するに至る。如し不幸にして衆邪の間、安危の際に居らば、則ち公の爲す所、必ず將に世を驚かし俗を絶し、斗筲・穿窬の流をして心破れ膽裂けしめん。豈に特だ此くの如きのみならんや。余、公の畫像を見て、其の遺風餘烈を想い、執鞭と爲るを願うも得可からず。乃ち追いて之が贊を爲りて云う、惟だ昔の聖賢、莫己知を患う。公、太宗に遇う。允に其の時なり。帝、公を用いんと欲す。公、少しも貶せず。三黜して窮山に、死して憾む靡し。咸平より以来、獨り名臣と爲る。一時の屈は萬世の信なり。紛紛たる鄙夫も亦た公の像を拜す。何を以て之を占わん。其の顙に泚有り。公は能く之を泚らすも、之を已むる能わず。茫茫たる九原、愛すれども之を起こす莫し。
現代語訳
蘇軾が公の肖像に賛を書いて言った。「伝に『君子がいなければ、どうして国が成り立とうか』とある。私はかつて三度この言葉を繰り返して、涙を流して嘆息しないことがなかった。漢の汲黯・蕭望之・李固・張昭、唐の魏徴・狄仁傑のような人は、みな身をもって義に殉じた。招いても来ず、追い払っても去らない。顔つきを改めて朝廷に立てば、豺や狼や狐や狸は自分たちで食い合う。だから禍いを形になる前に消し、危うさを滅びかけたところで救えた。もしみなが公孫弘や張禹や胡広のような者ばかりなら、千人百人を重ねても、急なときに何を望めようか。だから翰林の王元之は、雄渾な文章と真っ直ぐな道によって当世に独り立った。この六人の君子に並べるに足る。このとき、朝廷は清く明らかで、大きな奸悪はなかった。それでも公はなお中に容れられなかった。きっぱりとして秋の霜、夏の日のようで、なれなれしくできなかった。三度落とされて死ぬに至った。もし不幸にして多くの邪な者のあいだ、安危の際に居たなら、公のすることは必ず世を驚かせ俗を絶して、器の小さい者や盗人の類の心を破り胆を裂いたであろう。どうしてこの程度で終わろうか。私は公の肖像を見て、その遺した風と烈しさを想い、鞭を執る御者になりたいと願っても叶わない。そこで追って賛を作った。むかしの聖賢は、自分を知る者のないことを患えた。公は太宗に遇った。まことにその時であった。帝は公を用いようとした。公は少しも自分を曲げなかった。三度落とされて窮した山に、死んでも憾みがなかった。咸平以来、ただ一人の名臣である。一時の屈は万世の信である。うるさく群れる俗人もまた公の像を拝む。何によってそれを占おうか。その額に汗がにじむ。公はそれをにじませることはできても、やめさせることはできない。茫々たる黄泉のもと、慕っても起こすすべがない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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呂氏春秋・貴直①賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
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尚書・太甲下言の汝の心に逆らう有らば必ず諸を道に求め、言の汝の志に遜う有らば必ず諸を非道に求めよ。
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史記 管晏列伝方に晏子、荘公の尸に伏して之に哭し、礼を成し然る後に去るは、豈に所謂「義を見て為さざるは勇無き」者か。其の諫説に至りては、君の顔を犯す。此れ所謂「進みては忠を尽くすを思ひ、退きては過ちを補ふを思ふ」者か。仮令ひ晏子をして在らしめば、余之が為に鞭を執ると雖も、忻慕する所なり。
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『韓非子』難言第三范雎は魏に脅(あばら)を折らる。此の十數人は、皆世の仁賢忠良にして道術有るの士なり、不幸にして悖亂闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者は、何ぞや。則ち愚者は說き難ければなり、故に君子は言ひ難きなり。且つ至言は耳に忤(さか)らひて心に倒(もと)る、賢聖に非ざれば能く聽く莫し、願はくは大王之を熟察せよ。
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呂氏春秋・壅塞①亡國の主は、以て直言す可からず。以て直言す可からざれば、則ち過、道りて聞く無く、而して善、自りて至ること無し。自りて至ること無ければ、則ち壅がる。