宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
公謫台州朝廷起遷人石悈知州事且令赴闕之官士論訩訩咸以為将有處分於公也悈至果揚言怖公視事次日即遣兵官突来所居搜檢行李攝公至郡庭大陳獄具盖朝㫖取索尊堯副本而悈為此以相迫脅耳
新字:公謫台州朝廷起遷人石悈知州事且令赴闕之官士論訩訩咸以為将有処分於公也悈至果揚言怖公視事次日即遣兵官突来所居捜検行李摂公至郡庭大陳獄具盖朝旨取索尊堯副本而悈為此以相迫脅耳
書き下し
公台州に謫せらる。朝廷遷人石悈を起こして州事を知らしめ、且つ闕に赴きて官に之かしむ。士論訩訩として、咸な以爲えらく、將に公に處分有らんとするなり、と。悈至りて果して揚言して公を怖れしむ。事を視るの次日、即ち兵官を遣わして突として居る所に来たり、行李を搜檢し、公を攝して郡庭に至らしめ、大いに獄具を陳ぬ。蓋し朝旨は尊堯の副本を取索するのみなるに、而して悈此を爲して以て相い迫脅せるのみ。
現代語訳
陳瓘は台州に流された。朝廷は左遷されていた石悈を起用して州の政を任せ、そのうえ都に参内してから任地に赴かせた。士人たちの議論は騒がしく、みな、陳瓘に何らかの処分が下されるのだろうと考えた。石悈は着任すると、案の定、大声で言い立てて陳瓘を怖がらせた。政務を執った翌日、すぐに兵官を差し向けて突然その住まいに来させ、荷物を捜索し、陳瓘を捕らえて郡の庭に連れ出し、大々的に牢獄の道具を並べ立てた。もっとも、朝廷の命令は『尊堯集』の副本を取り寄せよというだけであった。それを石悈がこのようにして脅しつけたにすぎない。
解説
命令と、その執行のあいだに落差があります。命じられたのは書類の提出だけでした。朝廷の命令は『尊堯集』の副本を取り寄せよというだけであった。ところが現場では、こうなります。荷物を捜索し、陳瓘を捕らえて郡の庭に連れ出し、大々的に牢獄の道具を並べ立てた。刑具は使うためではなく、見せるために並べられています。上の意向を読んで、上が命じていないことまでやる。それを石悈がこのようにして脅しつけたにすぎない。
この章句が説くこと
公台州に謫せらる朝廷遷人石悈を起こして州事を知らしむ悈至りて果して揚言して公を怖れしむ兵官を遣わして突として居る所に来たり行李を捜検し公を摂して郡庭に至らしめ大いに獄具を陳ぬ朝旨は尊堯の副本を取索するのみ忖度脅し
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