宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬康
君已病矣猶自力解孟子二巻㑹除諌議未受條具諸所當言以待曰得一對極言而死無所恨矣疾病召醫於兖鄉民聞之詣醫告曰百姓受司馬公恩深今其子病願速往來告者日夕不絶醫遂行至則疾不可為也没二聖嗟悼不已所以優䘏賻贈之甚厚
新字:君已病矣猶自力解孟子二巻会除諌議未受条具諸所当言以待曰得一対極言而死無所恨矣疾病召医於兗郷民聞之詣医告曰百姓受司馬公恩深今其子病願速往来告者日夕不絶医遂行至則疾不可為也没二聖嗟悼不已所以優䘏賻贈之甚厚
書き下し
君已に病めり。猶お自ら力めて孟子二巻を解す。㑹ミ諫議を除せらるるも未だ受けず。諸ミ當に言うべき所を條具して以て待つ。曰く、一たび對を得て極言して死せば恨む所無しと。疾病して醫を兗に召す。鄉民之を聞き醫に詣りて告げて曰く、百姓司馬公の恩を受くること深し。今其の子病む。願わくは速やかに往けと。來たり告ぐる者日夕絶えず。醫遂に行く。至れば則ち疾爲す可からざるなり。没して二聖嗟悼して已まず。優恤賻贈する所以の者甚だ厚し。
現代語訳
君はすでに病んでいた。それでもなお自ら努めて『孟子』二巻を注解した。ちょうど諫議大夫に任じられたが、まだ受けていなかった。申し上げるべきことをすべて箇条に整えて、その時を待った。言った。「一度お目にかかって言い尽くして死ねば、思い残すところはない」。病が篤くなり、医者を兗州から呼んだ。土地の民がこれを聞いて医者のもとに行き、告げて言った。「百姓は司馬公の恩を深く受けている。いまその子が病んでいる。どうか急いで行ってくれ」。来て告げる者が朝も晩も絶えなかった。医者はそこで出向いた。着いてみると、病はもう手の施しようがなかった。亡くなって、二人の聖主は嘆き悼んでやまなかった。手厚くいたわり、香典を賜ることはきわめて篤かった。
解説
この章句が説くこと
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