宋名臣言行録 / 前集巻九・尹洙
慶歴中洙與仲淹等友善仲淹等既罷朝政洙亦爲人希時宰意攻以居渭州時事遂置獄遣劉湜按之一日謂洙曰龍圖以銀爲偏提給銀有記而收偏提無籍龍圖當得罪死矣洙曰此不足以致洙罪也以銀爲偏提用某工校主之附某籍可取視之湜閱籍果然知不能害嘆息而巳其後洙在随州而孫甫知安州過隨二人皆好辨論對榻語幾月無所不道而洙未嘗有一言及湜者甫問曰劉湜按師魯欲致師魯於死而師魯絶口未嘗有一言及湜何也洙曰湜與洙本未嘗有不足之意其希用事者意欲害洙廼湜不能自樹立耳洙何恨於湜乎甫深伏其識量甫又言洙自謂平生好善之心過於嫉惡甫謂信然
新字:慶歴中洙与仲淹等友善仲淹等既罷朝政洙亦為人希時宰意攻以居渭州時事遂置獄遣劉湜按之一日謂洙曰竜図以銀為偏提給銀有記而収偏提無籍竜図当得罪死矣洙曰此不足以致洙罪也以銀為偏提用某工校主之附某籍可取視之湜閱籍果然知不能害嘆息而巳其後洙在随州而孫甫知安州過随二人皆好弁論対榻語幾月無所不道而洙未嘗有一言及湜者甫問曰劉湜按師魯欲致師魯於死而師魯絶口未嘗有一言及湜何也洙曰湜与洙本未嘗有不足之意其希用事者意欲害洙廼湜不能自樹立耳洙何恨於湜乎甫深伏其識量甫又言洙自謂平生好善之心過於嫉悪甫謂信然
書き下し
慶歴中、洙、仲淹等と友善なり。仲淹等既に朝政を罷む。洙も亦た人の時宰の意を希う爲る所と爲り、渭州に居りし時の事を以て攻めらる。遂に獄を置き、劉湜を遣わして之を按ぜしむ。一日、洙に謂いて曰く、龍圖、銀を以て偏提と爲す。銀を給するに記有り。而して偏提を收むるに籍無し。龍圖、當に罪を得て死すべしと。洙曰く、此れ以て洙の罪を致すに足らざるなり。銀を以て偏提と爲すは、某工校を用いて之を主どらしめ、某籍に附す。取りて之を視る可しと。湜、籍を閱するに果たして然り。害する能わざるを知り、嘆息するのみ。其の後、洙、随州に在り。而して孫甫、安州を知る。隨を過ぐ。二人皆な辨論を好む。榻を對して語ること幾月。道わざる所無し。而して洙、未だ嘗て一言の湜に及ぶ者有らず。甫問いて曰く、劉湜、師魯を按じて師魯を死に致さんと欲す。而して師魯、口を絶ちて未だ嘗て一言の湜に及ぶ有らざるは何ぞやと。洙曰く、湜と洙と、本と未だ嘗て不足の意有らず。其れ用事する者の意を希いて洙を害せんと欲するは、廼ち湜の自ら樹立する能わざるのみ。洙、何ぞ湜を恨まんやと。甫、深く其の識量に伏す。甫又た言う、洙、自ら平生の善を好むの心は惡を嫉むに過ぐと謂う。甫、信に然りと謂う。
現代語訳
慶暦年間、尹洙は范仲淹らと親しかった。范仲淹らが朝政を退いた。尹洙もまた、時の宰相の意を汲もうとする者に、渭州にいたころの事を持ち出して攻撃された。そこで獄が設けられ、劉湜を遣わして取り調べさせた。ある日、尹洙に言った。「龍図閣どのは銀で酒器を作られた。銀を支給するのには記録がある。ところが酒器を収めるのに帳簿が無い。龍図閣どのは罪を得て死ぬはずだ」。尹洙は言った。「それでは私の罪にはできない。銀で酒器を作るのは、某という工の校尉に管掌させ、某の帳簿に付けてある。取り出して見ればよい」。劉湜が帳簿を調べると、はたしてそのとおりであった。害せないと知って、嘆息するだけであった。その後、尹洙は随州にいた。そして孫甫が安州の長官となった。随州を通った。二人とも議論を好んだ。寝台を並べて語ること数か月。語らないことがなかった。それでも尹洙は、一度も劉湜のことに触れなかった。孫甫は尋ねた。「劉湜はあなたを取り調べて、あなたを死に至らせようとした。それなのにあなたは口を閉ざして、一度も劉湜のことに触れないのは、どうしてか」。尹洙は言った。「劉湜と私とは、もともと仲違いの意など無かった。あの人が事を執る者の意を汲んで私を害そうとしたのは、つまり劉湜が自分で立つことができないというだけのことだ。私がどうして劉湜を恨もうか」。孫甫は深くその識見と度量に服した。孫甫はまた言った。尹洙は自分で、生涯、善を好む心が悪を憎む心に勝っていると言っていた。孫甫はまことにそのとおりだと思った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
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説苑・復恩楚の荘王群臣に酒を賜ふ、日暮れて酒酣にして、燈燭滅す、乃ち人の美人の衣を引く者有り、美人其の冠纓を援絶して、王に告げて曰く、「今者燭滅え、妾の衣を引く者有り、妾其の冠纓を援け得て之を持てり、趣かに火を来して上げしめ、纓を絶ちし者を視られよ」と。王曰く、「人に酒を賜ひ、酔ひて礼を失はしめしに、奈何ぞ婦人の節を顕して士を辱めんと欲せんや」と。乃ち左右に命じて曰く、「今日寡人と飲みて、冠纓を絶たざる者は懽ならず」と。群臣百有余人皆其の冠纓を絶ち去りて火を上ぐ、卒に尽く懽びて罷む。居ること三年、晋楚と戦ふ、一臣常に前に在り、五合五たび奮ひ、首として敵を卻く、卒に之に勝つを得たり、荘王怪しみて問ひて曰く、「寡人徳薄く、又未だ嘗て子を異にせざるに、子何の故に死に出でて疑はざること是の如きか」と。対へて曰く、「臣当に死すべかりき、往者酔ひて礼を失ひしとき、王隠忍して誅を加へざりき、臣終に敢へて蔭蔽の徳を以て王に顕報せざらんや、常に肝脳を地に塗り、頸血を用ひて敵に湔がんことを願ふこと久し、臣乃ち夜纓を絶ちし者なり」と。遂に晋軍を敗り、楚以て強きを得たり、此れ陰徳有る者は必ず陽報有るなり。
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尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。
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人物志・材能寛弘の人は、宜しく郡国を為すべし。下をして其の功を施すを得しめて、其の事を総成す。急小の人は、宜しく百里を理むべし。事を己に辦ぜしむ。
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牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
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説苑・尊賢晋の文侯、地を行きて隧に登るに、大夫皆之を扶く。隨会扶けず。文侯曰く、「会よ、夫れ人臣為りて其の君を忍ぶ者は、其の罪奚如ん」と。対えて曰く、「其の罪重死なり」と。文侯曰く、「何をか重死と謂う」と。対えて曰く、「身死し、妻子戮せらる」と。隨会曰く、「君奚ぞ独り人臣為りて其の君を忍ぶ者を問いて、人君為りて其の臣を忍ぶ者を問わざるや」と。文侯曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、其の罪何如ん」と。隨会対えて曰く、「人君為りて其の臣を忍ぶ者は、智士謀を為さず、弁士言を為さず、仁士行を為さず、勇士死を為さず」と。文侯綏を援きて車を下り、大夫に辞して曰く、「寡人に腰髀の病有り、願わくは諸大夫罪する勿かれ」と。