宋名臣言行録 / 後集巻十三・范祖禹
公未生河南郡太君夢一偉丈夫披金甲而至寝室曰吾故漢将軍鄧禹也既寤猶見之是日公生遂以為名初字夢得溫公以傳稱鄧仲華篤行淳備改字淳甫故稱淳甫
新字:公未生河南郡太君夢一偉丈夫披金甲而至寝室曰吾故漢将軍鄧禹也既寤猶見之是日公生遂以為名初字夢得温公以伝称鄧仲華篤行淳備改字淳甫故称淳甫
書き下し
公未だ生まれざるに、河南郡太君夢む、一偉丈夫金甲を披て寝室に至りて曰く、吾は故の漢の将軍鄧禹なり、と。既に寤めて猶お之を見る。是の日公生まる。遂に以て名と爲す。初め字は夢得。温公、傳に鄧仲華の篤行淳備なるを稱するを以て、字を淳甫と改む。故に淳甫と稱す。
現代語訳
范祖禹がまだ生まれないころ、母の河南郡太君が夢を見た。一人の堂々たる大丈夫が金の鎧をまとって寝室に現れ、こう言った。「私はもとの漢の将軍、鄧禹である」。目が覚めてからも、なおその姿が見えた。その日に范祖禹が生まれた。そこでこれを名とした。初めの字は夢得であった。司馬光が、伝に鄧仲華(鄧禹)が篤実な行いで人柄が純良に備わっていると称えられているのを取って、字を淳甫と改めた。だから淳甫と称する。
解説
名の由来を伝える一条です。夢から取った名前を、司馬光が一段掘り下げました。初めの字「夢得」は、夢で得たという事実だけを指しています。**司馬光が、伝に鄧仲華が篤実な行いで人柄が純良に備わっていると称えられているのを取って、字を淳甫と改めた。**同じ鄧禹でも、将軍としての武ではなく、人柄のほうを取り出しました。名は出来事の記念で終わらず、どう生きるかの指定になります。この巻の人物の描かれ方が、字の付け替えに先取りされています。
この章句が説くこと
河南郡太君夢む一偉丈夫金甲を披て寝室に至る吾は故の漢の将軍鄧禹なり初め字は夢得温公伝に鄧仲華の篤行淳備なるを称するを以て字を淳甫と改む名前由来
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