宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇轍
李邦直為中書侍郎鄧聖求為尚書右丞二人久在外不得志遂以元豐事激怒上意㑹廷䇿進士邦直撰䇿題即為邪說以扇惑羣聽
新字:李邦直為中書侍郎鄧聖求為尚書右丞二人久在外不得志遂以元豊事激怒上意会廷策進士邦直撰策題即為邪説以扇惑羣聴
書き下し
李邦直中書侍郎と爲り、鄧聖求尚書右丞と爲る。二人久しく外に在りて志を得ず。遂に元豐の事を以て上の意を激怒せしむ。㑹ミ進士に廷策す。邦直策題を撰し、即ち邪説を爲して以て羣聽を扇惑す。
現代語訳
李清臣が中書侍郎となり、鄧潤甫が尚書右丞となった。二人は長く地方にあって志を得られなかった。そこで元豊の事を持ち出して天子の意を怒りへ煽った。ちょうど進士に対する殿試があった。李清臣は策題を作り、そこでよこしまな説を立てて、多くの耳を煽り惑わせた。
解説
動機が先に書かれています。**二人は長く地方にあって志を得られなかった。**個人の不遇です。それが、先帝の政策をめぐる争いの形をとりました。**元豊の事を持ち出して天子の意を怒りへ煽った。**そして使った道具が、試験の問題文でした。**李清臣は策題を作り、そこでよこしまな説を立てて、多くの耳を煽り惑わせた。**受験する側は、問いに合わせて答えます。問い方を変えるだけで、答えの向きが揃う。
この章句が説くこと
李邦直中書侍郎と為り鄧聖求尚書右丞と為る二人久しく外に在りて志を得ず遂に元豊の事を以て上の意を激怒せしむ邦直策題を撰し即ち邪説を為して以て羣聴を扇惑す出題扇動
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁紹聖の初め哲宗親政し、李清臣を用いて中書侍郎と爲す。范丞相純仁清臣と事を論じて合わず。范公去るを求む。帝許さず。范公堅く辭す。帝已むを得ず觀文殿大學士・判頴昌府を除す。章惇を召して相と爲さんとするも未だ至らず。清臣獨り中書に當たり、益ミ相位を覬倖す。復た免役・青苗の法を行い、諸路の常平使者を除す。惇至りて容るる能わず、事を以て之を中つ。清臣出でて北京を知す。
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇轍臣願わくは陛下臣の言を反覆し、謹んで輕々しく改易を事とする勿かれ。若し輕々しく九年已に行うの事を變じ、累歳用いざるの人を擢用せば、人私忿を懷きて先帝を以て詞と爲さん。則ち大事去らん。奏入るも報ぜず。再び劄子を以て面ミ之を論ず。上悦ばず。李・鄧從いて之を媒糵す。乃ち本官を以て出でて頴州を知す。
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『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁其の出だす所と外除及び朝に入らしめざる者は皆賢士にして、清臣素より憚る所、得て用う可からざる者なり。忠彦懦なること甚だしく之が爲に主たる能わず。曾布右相と爲り范致虚を用う。諫疏に云う、河北の三帥は連衡す。恐らくは社稷の福に非ずと。劉安世・呂希純同日に罷を報ぜらる。清臣も亦た布の陷るる所と爲り、出でて北京を知す。
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