宋名臣言行録 / 後集巻三・文彦博
公至貝與明鎬督諸將築距闉以攻城旬餘不下有牢城卒董秀劉炳請穴地以攻城公許之貝城南臨御河秀等夜於岸邉穿穴棄土於水晝匿穴中城上不之見也久之穴成自教塲中出秀等以褐袍塞之走白公選取敢死二百命指使將之銜枚自穴入有虞□楊遂請行遂白軍士中有病欬者數人不可去請易之從之既出穴登城殺守者埀絙以引城外人城中驚擾遂生擒王則
新字:公至貝与明鎬督諸将築距闉以攻城旬余不下有牢城卒董秀劉炳請穴地以攻城公許之貝城南臨御河秀等夜於岸邉穿穴棄土於水昼匿穴中城上不之見也久之穴成自教塲中出秀等以褐袍塞之走白公選取敢死二百命指使将之銜枚自穴入有虞□楊遂請行遂白軍士中有病欬者数人不可去請易之従之既出穴登城殺守者埀絙以引城外人城中驚擾遂生擒王則
書き下し
公貝に至り、明鎬と諸將を督して距闉を築きて以て城を攻む。旬餘にして下らず。牢城の卒董秀・劉炳有り、地を穴して以て城を攻めんことを請う。公之を許す。貝城の南は御河に臨む。秀等夜に岸邊に於いて穴を穿ち、土を水に棄つ。晝は穴中に匿れ、城上之を見ざるなり。之を久しくして穴成り、教場の中より出づ。秀等褐袍を以て之を塞ぎ、走りて公に白す。敢死二百を選び取り、指使に命じて之を將いしめ、枚を銜みて穴より入らしむ。虞□の楊遂、行かんことを請う。遂白す、軍士の中に欬を病む者數人有り。去く可からず。之を易えんことを請うと。之に從う。既に穴を出でて城に登り、守る者を殺し、絙を垂れて以て城外の人を引く。城中驚擾し、遂に王則を生擒す。
現代語訳
文彦博は貝州に到着し、明鎬とともに諸将を督して土塁を築いて城を攻めた。十日あまりたっても落ちない。牢城の兵に董秀・劉炳という者があり、地下に坑道を掘って城を攻めることを願い出た。文彦博はこれを許した。貝州城の南は御河に臨んでいる。董秀らは夜に岸辺で穴を掘り、土を水に捨てた。昼は坑道の中に隠れ、城の上からは見えなかった。長くかかって坑道ができ、城内の練兵場に出た。董秀らは麻の袍でその口を塞ぎ、走って文彦博に報告した。決死の二百人を選び、指使に命じてこれを率いさせ、枚をくわえて坑道から入らせた。虞〔一字を欠く〕の楊遂が行くことを願い出た。楊遂が申し上げた。「兵士の中に咳を病んでいる者が数人おります。連れて行けません。入れ替えをお願いします」。これに従った。坑道を出て城に登り、守る者を殺し、綱を垂らして城外の者を引き上げた。城内は驚き乱れ、ついに王則を生け捕りにした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・行軍篇之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博樞密直學士明鎬、貝州を討つも久しく未だ下らず。上深く以て憂と爲し、兩府に問う。參知政事文彦博、自ら往きて督戰せんことを請う。八年正月丁丑、彦博を以て河北宣撫使と爲し、諸將を監して貝州を討たしむ。時に樞密使夏竦、鎬を惡む。凡そ鎬の奏請する所は多く中より之を沮み、惟だ其の成功を恐る。彦博奏す、今軍中に在り、便宜に事に從うを得んことを請う。申覆せずと。上之を許す。
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『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公の在る所、賊敢えて犯さず。其の大順に城くや、一旦、兵を引きて出づ。諸將、向かう所を知らず。軍、柔逺に至りて始めて號令し、其の地處を告げて往きて城を築かしむ。版築の用に至るまで大小畢く具わる。而して軍中、初め知らず。賊、三萬騎を以て来たり爭う。公、諸將を戒む、戰いて賊走らば、追いて河を過ぐる勿かれと。已にして賊果たして走る。追う者渡らず。而して河外に果たして伏有り。賊既に計を失う。乃ち引きて去る。諸將皆な公の及ぶ可からざるを為すに服す。得る所の賜賚は皆な上意を以て諸將に分賜し、自ら謝を為さしむ。諸蕃の質子、其の出入を縱にす。一人の逃ぐる者無し。蕃酋来り見れば、之を卧内に召し、人を屏け衞を徹して與に語る。疑わず。邉に居ること二歳、士勇に邉實ち、恩信大いに洽し。乃ち䇿を決して横山を取り靈武を復せんことを謀る。而して元昊、數々使いを遣わして臣と稱し和を請う。上も亦た公を召して歸らしむ。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博志聰等素より謹愿なり。夕に及びて諸宮門下鎖を白す。志聰曰く、汝曹自ら宰相に白せ。我は受けずと。其の軍令に任ず。兩府謀るに、上の躬寧からざるを以て宮中に留宿せんと欲するも名無し。辛酉、公建議して醮を設けて福を大慶殿に祈る。兩府晝夜香を焚き、幄を設けて殿の西廡に宿す。志聰等白す、故事、兩府に殿中に留宿する者無しと。公曰く、今何ぞ故事を論ぜんやと。戊辰以後、上の神思浸ミ清らかなり。醮を罷む。兩府始めて番を分かちて第に歸る。歸らざる者は各ミ其の府に宿す。
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『宋名臣言行録』前集巻八・王徳用邢・洺の盗、二州の間に出入すること年を歴たり。吏、捕うる能わず。公、氊車を以て勇士を載せ、婦人の服を爲して盛飾して之を誘う。賊黨、争いて前み邀刼す。遂に皆な擒に就く。是に由りて名を知らる。
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