宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
劉器之云富鄭公年八十書坐屏云守口如瓶防意如城
書き下し
劉器之云う、富鄭公年八十、坐屏に書して云う、口を守ること瓶の如く、意を防ぐこと城の如しと。
現代語訳
劉器之が言う。富弼は八十歳のとき、座右の屏風に書き付けて言った。「口を守ること、瓶のように。心の動きを防ぐこと、城のように」。
解説
八十歳の人が、自分に向けて書いた八字です。二つとも、外へ漏らさないことについて言っています。**口を守ること、瓶のように。**瓶は中身がこぼれない器で、しかも自分では開かない。**心の動きを防ぐこと、城のように。**外から入ってくるものを止める、という向きです。言葉は出さない、思いは入れない。契丹の君主を説き伏せ、五十万人を生かし、天下を論じ続けた人が、最後に壁に貼ったのがこれでした。
この章句が説くこと
富鄭公年八十坐屏に書して云う口を守ること瓶の如し意を防ぐこと城の如し口慎み防ぐ
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