宋名臣言行録 / 前集巻七・范仲淹
自公坐吕公貶羣士大夫各持二公曲直吕公患之凡直公者指為黨或坐貶竄及吕復相公亦再起被用於是二公驩然相約戮力平賊天下之士皆以此多二公然朋黨之論遂起而不止上既賢公可大用故卒置羣議而用之
新字:自公坐呂公貶羣士大夫各持二公曲直呂公患之凡直公者指為党或坐貶竄及呂復相公亦再起被用於是二公驩然相約戮力平賊天下之士皆以此多二公然朋党之論遂起而不止上既賢公可大用故卒置羣議而用之
書き下し
公の吕公に坐して貶せられしより、羣士大夫、各々二公の曲直を持す。吕公之を患う。凡そ公に直きなる者は指して黨と為し、或いは坐して貶竄せらる。吕の復た相たるに及び、公も亦た再び起ちて用いらる。是に於て二公驩然として相い約し、力を戮せて賊を平らぐ。天下の士、皆な此を以て二公を多とす。然れども朋黨の論、遂に起こりて止まず。上、既に公を賢として大用す可しとす。故に卒に羣議を置きて之を用う。
現代語訳
公が呂夷簡のために流されてから、多くの士大夫がそれぞれ二人のどちらが正しいかを主張した。呂夷簡はそれを憂えた。およそ公を正しいとする者は一派として指され、あるいはそれによって流された。呂夷簡がふたたび宰相となったとき、公もまた再び立って用いられた。そこで二人は打ち解けて約束を交わし、力を合わせて賊を平らげた。天下の士は、みなそれによって二人を立派だとした。しかし党派の論は、そこから起こって止まなくなった。帝は公を賢者として大いに用いるべきだとした。だからけっきょく多くの議論を措いて用いた。
解説
対立していた二人が和解したのに、争いのほうは止まらなかった条です。**二人は打ち解けて約束を交わし、力を合わせて賊を平らげた。天下の士はみなそれによって二人を立派だとした。**そこまでは良い話です。**しかし党派の論は、そこから起こって止まなくなった。**当人どうしが手を握っても、それぞれの側に付いた人たちの争いは残る。この後の党議につながっていきます。
この章句が説くこと
凡そ公に直きなる者は指して党と為し或いは坐して貶竄せらる二公驩然として相い約し力を戮せて賊を平らぐ然れども朋党の論遂に起こりて止まず和解党派余波
関連する章句
-
易経・彖伝睽(けい)は、火動きて上り、沢動きて下る。二女同居して、其の志行を同じくせず。説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。是を以て小事に吉なり。天地睽(そむ)きて其の事同じきなり。男女睽きて其の志通ずるなり。万物睽きて其の事類するなり。睽の時用大なるかな。
-
論語・子路篇子貢問いて曰く、「郷人皆之を好まば、何如。」子曰く、「未だ可ならざるなり。」「郷人皆之を悪まば、何如。」子曰く、「未だ可ならざるなり。郷人の善き者之を好み、其の善からざる者之を悪むには如かず。」
-
『塩鉄論』備胡篇賢良曰く、匈奴は沙漠の中に處り、食わざるの地に生じ、天の賤しみて之を棄つる所なり。壇宇の居、男女の別無く、廣野を以て閭里と為し、穹廬を以て家室と為し、皮を衣て毛を蒙り、肉を食い血を飲み、市に會して行き、牧豎して居る、中國の麋鹿の如きのみ。好事の臣、其の義を求め、之を禮に責め、中國の干戈をして今に至るまで未だ息まざらしめ、萬里に備を設く、此れ兔罝の刺る所なり、故に小人は公侯の腹心幹城に非ざるなり。
-
孫子・九地篇敢えて問う、兵をして率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。夫れ呉人と越人とは相悪むも、其の舟を同じくして済るに当たり、風に遇わば、其の相救うや左右の手の如し。
-
『韓非子』備內第十七情、人を憎むに非ざるなり、利、人の死するに在ればなり。故に后妃・夫人・太子の黨成りて君の死を欲するなり。君死せざれば、則ち勢重からず。情、君を憎むに非ざるなり、利、君の死するに在ればなり。故に人主は己の死を利とする者に心を加へざる可からず。故に日月は暈(かさ)外を圍めども、其の賊は内に在り。其の憎む所に備ふるも、禍は愛する所に在り。
-
『塩鉄論』雜論篇客曰く、余、鹽・鐵の義を睹、公卿・文學・賢良の論を觀るに、意指路を殊にし、各々出づる所有り。或いは仁義を上び、或いは權利を務む。