宋名臣言行録 / 前集巻三・馬知節
公年十八監彭州兵馬以嚴飭見憚如老將監博州兵馬時劉延讓敗于君子驛而契丹歸矣公方料丁壯集芻粮繕城治械如冦至吏民初不悦其生事已而契丹果至度不可攻乃去
新字:公年十八監彭州兵馬以厳飭見憚如老将監博州兵馬時劉延譲敗于君子駅而契丹帰矣公方料丁壮集芻粮繕城治械如寇至吏民初不悦其生事已而契丹果至度不可攻乃去
書き下し
公、年十八にして彭州の兵馬を監す。嚴飭を以て憚られ、老將の如し。博州の兵馬を監す。時に劉延讓、君子驛に敗れて契丹歸れり。公方に丁壯を料り、芻粮を集め、城を繕い械を治むること、冦の至るが如くす。吏民初め其の事を生ずるを悦ばず。已にして契丹果たして至る。攻む可からざるを度り、乃ち去る。
現代語訳
公は十八歳で彭州の兵馬を監督した。厳しく引き締めることで一目置かれ、老練な将のようであった。博州の兵馬を監督した。当時、劉延譲が君子駅で敗れ、契丹は引き揚げていた。公はちょうど壮丁を数え、飼葉と兵糧を集め、城を修繕し武器を整えて、まるで敵が来ているかのようにした。役人も民も、はじめは無用の事を起こしていると喜ばなかった。ほどなく契丹がはたして来た。攻められないと見て取って、そのまま去った。
解説
馬知節(九五五〜一〇一九)の最初の記録です。十八歳で兵馬の監督に就き、老練な将のように見られた、という十七字から始まります。次が博州でのこと。敵が引き揚げた直後に、**壮丁を数え、糧を集め、城と武器を整えて、まるで敵が来ているかのようにしました。**役人も民も、はじめは無用の事を起こしていると喜ばなかった、とわざわざ書いてあります。備えは、必要になるまでは無駄に見える。ほどなく契丹が来て、攻められないと見て去りました。
この章句が説くこと
城を繕い械を治むること寇の至るが如くす吏民初め其の事を生ずるを悦ばず已にして契丹果たして至る攻む可からざるを度り乃ち去る備え平時反発
関連する章句
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