宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公憂國愛君不以利害得喪貳其心刻意名節難進易退雖屢黜廢志氣彌勵以為有文正之風焉其在朝廷專務奨進人材故天下善類視公用舍以為消長其論議平恕不為巳甚世謂使其言行於熙寜元豐時後必不至紛更盡申於元祐中必無紹聖大臣讎復之禍
新字:公憂国愛君不以利害得喪貳其心刻意名節難進易退雖屢黜廃志気弥勵以為有文正之風焉其在朝廷専務奨進人材故天下善類視公用舎以為消長其論議平恕不為巳甚世謂使其言行於熙寜元豊時後必不至紛更尽申於元祐中必無紹聖大臣讎復之禍
書き下し
公國を憂え君を愛し、利害得喪を以て其の心を貳にせず。名節に刻意し、進み難く退き易し。屡ミ黜廢せらると雖も志氣彌ミ勵む。以て文正の風有りと爲す。其の朝廷に在るや、專ら人材を奬進するを務む。故に天下の善類は公の用捨を視て以て消長と爲す。其の論議は平恕にして已甚を爲さず。世に謂う、其の言をして熙寧・元豐の時に行われしめば後に必ず紛更に至らず、盡く元祐の中に申べしめば必ず紹聖大臣讎復の禍無からんと。
現代語訳
公は国を憂え君を愛し、利害や得失によってその心を二つにしなかった。名と節に心を刻み、進むのは難しく退くのはたやすかった。しばしば退けられ職を廃されても、志気はいよいよ励んだ。范仲淹の風格があるとされた。朝廷にあっては、もっぱら人材を励まし進めることに努めた。だから天下の善き人々は、公が用いられるか退けられるかを見て、自分たちの消長とした。その論議は平らかで思いやりがあり、行き過ぎたことをしなかった。世間では言う、その言葉が熙寧・元豊の時に行われていたなら後に混乱に至ることはなく、元祐の中で言い尽くされていたなら紹聖の大臣による報復の禍もなかったであろう、と。
解説
一人の去就が、指標になっていた話です。**天下の善き人々は、公が用いられるか退けられるかを見て、自分たちの消長とした。**この人が使われていれば、自分たちにも場所がある。退けられれば、次は自分だ。誰かの人事が、同類全体への合図になります。そして論じ方が、この人を指標にできた理由でした。**その論議は平らかで思いやりがあり、行き過ぎたことをしなかった。**
この章句が説くこと
公国を憂え君を愛し利害得喪を以て其の心を貳にせず名節に刻意し進み難く退き易し故に天下の善類は公の用捨を視て以て消長と為す其の論議は平恕にして已甚を為さず人材指標
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