宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
初康定元年春夏戎犯延安君時為大理丞任鄜州從事建言延安東北二百里有故寛州請因其廢壘而興之以當冦衝左可致河東之粟右可固延安之勢北可圖銀夏之舊有是三利朝廷從之以君董役事君膽勇過人雖逼戎落曽不畏憚與兵民暴露數月且戰且城然處險無泉議不可守鑿地百有五十尺始至于石工徒拱手曰是不可井矣君曰過石而下將無泉耶爾其屑而出之凡一畚償爾百金工復致其力過石數重泉果沛發萬人歡呼曰神乎雖虜兵重圍吾無困渇之患矣既而朝廷署故寛州為青澗城
新字:初康定元年春夏戎犯延安君時為大理丞任鄜州従事建言延安東北二百里有故寛州請因其廃塁而興之以当寇衝左可致河東之粟右可固延安之勢北可図銀夏之旧有是三利朝廷従之以君董役事君胆勇過人雖逼戎落曽不畏憚与兵民暴露数月且戦且城然処険無泉議不可守鑿地百有五十尺始至于石工徒拱手曰是不可井矣君曰過石而下将無泉耶爾其屑而出之凡一畚償爾百金工復致其力過石数重泉果沛発万人歓呼曰神乎雖虜兵重囲吾無困渇之患矣既而朝廷署故寛州為青澗城
書き下し
初め康定元年の春夏、戎、延安を犯す。君、時に大理丞と為り、鄜州の從事に任ず。建言す、延安の東北二百里に故の寛州有り。請う、其の廢壘に因りて之を興し、以て冦の衝に當たらん。左は河東の粟を致す可く、右は延安の勢いを固む可く、北は銀夏の舊を圖る可し。是の三利有りと。朝廷之に從う。君を以て役事を董せしむ。君、膽勇、人に過ぐ。戎落に逼ると雖も、曽て畏憚せず。兵民と暴露すること數月、且つ戰い且つ城く。然れども險に處りて泉無し。議して守る可からずとす。地を鑿ること百有五十尺、始めて石に至る。工徒、手を拱きて曰く、是れ井とす可からずと。君曰く、石を過ぎて下れば、將に泉無からんとするかと。爾、其れ之を屑きて出だせ。凡そ一畚、爾に百金を償わんと。工、復た其の力を致す。石數重を過ぐ。泉果たして沛發す。萬人歡呼して曰く、神なるかな。虜兵重圍すと雖も、吾れ困渇の患い無しと。既にして朝廷、故の寛州を署して青澗城と為す。
現代語訳
はじめ康定元年の春から夏にかけて、異民族が延安を侵した。君は当時、大理丞として鄜州の従事の任にあった。建議した。「延安の東北二百里に、もとの寛州があります。どうかその廃れた砦を使ってこれを興し、敵の衝く道に当てさせてください。左は河東の穀物を運ぶことができ、右は延安の勢いを固めることができ、北は銀州・夏州の旧領を図ることができます。この三つの利があります」。朝廷はそれに従った。君に工事を監督させた。君は胆力と勇気が人に勝っていた。異民族の集落に迫られていても、まったく恐れ憚らなかった。兵と民とともに野外にさらされること数か月、戦いながら城を築いた。しかし険しい地にあって泉が無かった。議論して、守れないとされた。地を掘ること百五十尺、はじめて岩に達した。職人たちは手をこまねいて言った。「これは井戸にできません」。君は言った。「岩を越えて下れば、泉が無いというのか。おまえたち、それを砕いて出せ。ひと畚につき、百金を償おう」。職人はふたたび力を尽くした。岩を数層越えた。泉ははたして勢いよく湧いた。万人が歓呼して言った。「神業だ。敵兵が厚く囲んでも、我らは渇きに苦しむ心配がない」。ほどなく朝廷は、もとの寛州を署して「青澗城」とした。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。
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