宋名臣言行録 / 後集巻十四・劉恕
方介甫用事呼吸成禍福凡有施置舉天下莫能奪髙論之士始異而終附之面譽而背毁之口是而心非之者比肩是也道原獨奮厲不顧直指其事是曰是非曰非或面刺介甫至變色如鐵或稠人廣坐介甫之人滿側道原公議其得失無所隠惡之者側目愛之者寒心至掩耳起避之而道原曾不以為意見質厚者親之如兄弟姦謟者疾之如讎用是困窮而終不悔此誠人之所難也昔申棖以多慾不得為剛微生髙以乞醯不得為直如道原者可以為剛直之士矣
新字:方介甫用事呼吸成禍福凡有施置舉天下莫能奪高論之士始異而終附之面誉而背毀之口是而心非之者比肩是也道原独奮厲不顧直指其事是曰是非曰非或面刺介甫至変色如鉄或稠人広坐介甫之人満側道原公議其得失無所隠悪之者側目愛之者寒心至掩耳起避之而道原曽不以為意見質厚者親之如兄弟姦謟者疾之如讎用是困窮而終不悔此誠人之所難也昔申棖以多慾不得為剛微生高以乞醯不得為直如道原者可以為剛直之士矣
書き下し
方に介甫事を用う。呼吸禍福を成す。凡そ施置有れば、天下を舉げて能く奪う莫し。高論の士も始めは異にして終わりは之に附し、面には譽めて背には之を毀り、口には是として心には之を非とする者、肩を比べて是なり。道原獨り奮厲して顧みず、直ちに其の事を指し、是を是と曰い、非を非と曰う。或いは面のあたり介甫を刺して、色を變ずること鐵の如きに至る。或いは稠人廣坐、介甫の人側に滿つるも、道原公に其の得失を議して隠す所無し。之を惡む者は目を側て、之を愛する者は心を寒からしむ。耳を掩いて起ち避くるに至るも、道原曾て以て意と爲さず。質厚なる者を見れば之に親しむこと兄弟の如く、姦諂なる者は之を疾むこと讎の如し。是を用て困窮して終に悔いず。此れ誠に人の難しとする所なり。昔申棖は多慾を以て剛爲るを得ず、微生高は醯を乞うを以て直爲るを得ず。道原の如き者は、以て剛直の士と爲す可し。
現代語訳
ちょうど王安石が政を執っていた。その息づかい一つで禍福が決まった。何か施策を出せば、天下を挙げてこれを覆せる者がなかった。高尚な議論をする士でさえ、初めは異を唱えても終いには従い、面と向かっては褒め、背中では貶し、口では是としながら心では非とする者が、肩を並べていた。劉恕だけは奮い立って顧みず、まっすぐその事を指さし、是を是と言い、非を非と言った。あるときは面と向かって王安石を刺し、その顔色が鉄のように変わることさえあった。あるときは大勢の人の並ぶ席で、王安石の人が周りに満ちていても、劉恕は公然とその得失を議論して隠すところがなかった。これを憎む者は横目でにらみ、これを愛する者は肝を冷やした。耳をふさいで立ち去る者があっても、劉恕は少しも気にしなかった。実直な人を見ればこれに親しむこと兄弟のようであり、よこしまで諂う者はこれを憎むこと仇のようであった。そのために困窮したが、最後まで悔いなかった。これはまことに人には難しいことである。昔、申棖は欲が多いために剛と認められず、微生高は酢を借りて渡したために直と認められなかった。劉恕のような人こそ、剛直の士とすることができる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒近世ノ道俗ヲ誘ヒ導ク者ハ。易キヨリ易キニ就テ。我宗門ノ中ニハ。過ヲ改メ悪ヲ止ルニハ及ヌト云。持戒禅定モ廃スヘシト云。識別有ン者ハ推察シ看ヨ。仏世賢聖在世ハ。諸天八部人非人道俗男女ミナ善ヨリ善ニ遷タコトシヤ。倶ニ分ニ随テ持戒修禅モ有タシヤ。人ニ良心アレハ善根ノ勤ラレヌト云コトハ有マシキソ。中古已来伶利ノ士カ世ニ随ヒ俗ニ応シテ人ヲ教化ス。其次ニ出ル者ハ。又世俗ニ順シ人情ニ就。ソノ次ニ出ル者更ニ世俗ニ順シ人情ニ就テ。遂ニ賢聖ノ正規則ヲ取失フ様ニナリ下リ。悪ヲ作シテ差ヌ様ニナリ下タコトシヤ。近古明恵上人ノ言ニ。今ノ諸宗ノ者ノ云通リカ仏法ナラハ。諸道ノ中ニ仏法ヨリワロキコトハナキト。此等ハ見タ処アル趣シヤ。
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尚書・大禹謨疑謀は成すこと勿(な)ければ、百志惟れ熙(ひろ)まらん。道に違ひて以て百姓の誉れを干(もと)むる罔(な)く、百姓に咈(もと)りて以て己の欲に従ふ罔かれ。怠ること無く荒むこと無ければ、四夷来たり王とせん」と。禹曰く、「於(ああ)、帝念へや。
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『講孟余話』告子下 第七章「故に曰く、今の大夫は今の諸侯の罪人なり」。此の一節、是れ全章帰宿の処にして、遽かに是を読めば、甚だ索然たるが如し。細かに是を味ふに、今の大夫其の君に告ぐるに三王の道を以てすること能はざるのみならず、五覇の道すら時に行はしむること能はず。小にしては君の悪を長じ、大にしては君の悪を逢ふる、最も悪むべきことなり。大夫の罪彼が如くにして、諸侯敢へて是を罪せざるのみならず、方に且つ是を崇び是を愛す。是れ又諸侯の罪なり。大夫として真切に是を今日に求むる時は、三王の道の内、「土地辟け、田野治まり、老を養ひ賢を尊び、俊傑位に在り」の数句、五覇の道の内、「不孝を誅し、樹子を易ふること無く、妾を以て妻と為すこと無く、賢を尊び才を育て、以て有徳を彰し、老を敬ひ幼を慈しみ、賓旅を忘るること無く、士は官を世々にすること無く(此の一句尤も熟思すべし)、官事は摂ぬること無く(此の一句は専権を慮るなり)、士を取るには必ず得、専ら大夫を殺すこと無く、防を曲ぐること無く(此の一句は防のみに非ず、総て己を利し人を害することを為す勿れ)、糴を遏むること無く(此の二句は隣に交るの礼しかり)、封ずること有りて告げざること無く、言に好に帰す」の五命十四五事、勉めて是を其の国に行はば、諸侯の罪人たるを免るべし。凡そ王政の事は、所謂時勢を待つに如かず。
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史記 酷吏列伝数々廃せられ数々起こり、御史及び中丞為ること幾ど二十歳。王温舒中尉を免ぜられ、而して宣左内史と為る。其の米塩を治む、事の大小皆其の手に関はる、自ら県名曹の実物を部署し、官吏令丞擅に揺かすことを得ず、痛く重法を以て之を縄す。官に居ること数年、一切の郡中小治弁を為す、然れども独り宣のみ小を以て大に致し、能く力に因りて之を行ふ、以て経と為し難し。中ごろ廃せらる。右扶風と為り、成信を怨むに坐す、信亡げて上林の中に蔵る、宣郿の令をして信を格殺せしむ、吏卒信を格する時、射て上林苑の門に中つ、宣吏に下されて罪を詆られ、以て大逆と為し、族に当たる、自殺す。而して杜周任用せらる。杜周は、南陽杜衍の人なり。義縦南陽の守為り、以て爪牙と為し、挙げて廷尉史と為す。張湯に事ふ、湯数々其の害無きを言ひ、御史に至る。辺の失亡を案ぜしむ、論殺する所甚だ衆し。事を奏して上の意に中る、任用せられ、減宣と相編み、更々中丞と為ること十余歳。其の治宣と相放ふ、然れども重遅にして、外は寛、内は深く骨に次ぐ。宣左内史為り、周廷尉為り、其の治大いに張湯に放ひて善く候伺す。上の擠さんと欲する所は、因りて之を陥れ、上の釈さんと欲する所は、久しく繋ぎて問を待ちて微かに其の冤状を見す。客周を譲めて曰く、「君天子の為に平を決す、三尺の法に循はず、専ら人主の意指を以て獄を為す。獄は固より是くの如きか」と。周曰く、「三尺安くより出づるや。前主の是とする所は著して律と為し、後主の是とする所は疏して令と為す、当時是と為す、何ぞ古の法ならんや」と。周廷尉と為るに至り、詔獄も亦益々多し。二千石の繋がるる者新故相因り、百余人を減ぜず。郡吏大府之を廷尉に挙ぐ、一歳に千余章に至る。章の大なる者は連逮証案数百、小なる者は数十人。遠き者は数千、近き者は数百里。獄に会し、吏因りて責むること章の告劾の如くし、服せざれば、笞掠を以て之を定む。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 孝武本紀間者(このごろ)河皋陸に溢れ、隄繇息まず。朕天下に臨むこと二十有八年、天若し朕に士を遺りて大いに通ぜしむ。乾に『蜚龍』と称し、『鴻般に漸む』と、意ふに庶幾くは焉に与らん。其れ二千戸を以て地士将軍大を封じて楽通侯と為せ。」と。列侯の甲第、僮千人を賜ふ。乗輿の斥けし車馬帷帳器物を以て其の家に充つ。又衛長公主を以て之に妻はせ、金万斤を齎し、更めて其の邑を名づけて当利公主と曰ふ。天子親ら五利の第に如く。使者の存問して給する所、道に連属す。大主将相より以下、皆其の家に置酒し、之に献遺す。是に於て天子又玉印を刻して「天道将軍」と曰ひ、使をして羽衣を衣て、夜白茅の上に立たしめ、五利将軍も亦羽衣を衣て、白茅の上に立ちて印を受く、以て臣とせざるを示すなり。而して「天道」を佩ぶる者は、且に天子の為に天神を道(みちび)かんとするなり。是に於て五利常に夜其の家に祠り、以て神を下さんと欲す。神未だ至らずして百鬼集まる、然れども頗る能く之を使ふ。其の後装を治めて行き、東して海に入り、其の師を求むと云ふ。大見えて数月、六印を佩び、貴きこと天下を振るはす、而して海上燕斉の間、搤捥(やくわん)して自ら禁方有り、能く神僊すと言はざる莫し。其の夏六月中、汾陰の巫錦民の為に魏脽の后土の営の旁に祠る、地の鉤の状の如きを見、掊(ほ)りて視るに鼎を得たり。鼎大いに衆鼎に異なり、文鏤ありて款識毋し、之を怪しみ、吏に言ふ。吏河東の太守勝に告ぐ、勝以て聞す。天子使をして巫錦の鼎を得るに姦詐無きを験問せしめ、乃ち礼を以て祠り、鼎を迎へて甘泉に至らしめ、行に従ひて、上之を薦めんとす。中山に至る、晏温にして、黄雲有りて蓋ふ。麃過ぐる有り、上自ら之を射、因りて以て祭る云。長安に至る、公卿大夫皆議して宝鼎を尊ばんことを請ふ。天子曰く、「間者河溢れ、歳数(しばしば)登らず、故に巡りて后土を祭り、百姓の為に穀を育まんことを祈る。

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