宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
介甫與子瞻初無隙惠卿忌子瞻才髙輙間之中丞李定亦介甫客也不服母䘮子瞻以為不孝作詩詆之定以為恨劾子瞻作詩謗訕遂下御史獄謫居黄州
新字:介甫与子瞻初無隙恵卿忌子瞻才高輙間之中丞李定亦介甫客也不服母喪子瞻以為不孝作詩詆之定以為恨劾子瞻作詩謗訕遂下御史獄謫居黄州
書き下し
介甫と子瞻と初め隙無し。惠卿子瞻の才髙きを忌み輒ち之を間つ。中丞李定も亦た介甫の客なり。母の喪に服さず。子瞻以て不孝と爲し、詩を作りて之を詆る。定以て恨みと爲し、子瞻の詩を作りて謗訕すと劾す。遂に御史の獄に下し黄州に謫居す。
現代語訳
王安石と蘇軾とは、はじめ隔てがなかった。呂恵卿は蘇軾の才が高いのを妬み、そのたびに二人を離間した。御史中丞の李定もまた王安石の食客であった。母の喪に服さなかった。蘇軾はこれを不孝として、詩を作ってそしった。李定はこれを恨みとし、蘇軾が詩を作って誹謗していると弾劾した。そのまま御史の獄に下され、黄州に流された。
解説
大きな筆禍事件の発端が、二人の私情でした。**呂恵卿は蘇軾の才が高いのを妬み、そのたびに二人を離間した。**そしてもう一人。母の喪に服さなかった御史中丞を、詩でそしっています。**李定はこれを恨みとし、蘇軾が詩を作って誹謗していると弾劾した。**そしる相手が、そしられ方を知っている職にいた。政策の対立に見える事件が、まず個人の恨みから起きている、という順序で書かれています。
この章句が説くこと
介甫と子瞻と初め隙無し恵卿子瞻の才高きを忌み輒ち之を間つ中丞李定も亦た介甫の客なり母の喪に服さず定以て恨みと為し子瞻の詩を作りて謗訕すと劾す離間私怨
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