宋名臣言行録 / 後集巻四・王素
慶厯中京師旱公為諌官乞親行禱雨帝曰太史言月二日當雨一日欲出禱公曰臣非太史然是日必不雨帝問故公曰陛下幸其當雨以禱不誠也不誠不可動天臣故知不雨帝曰明日禱醴泉觀公曰醴泉之近猶外朝也豈憚暑不逺出耶帝每意動則耳赤耳巳盡赤厲聲曰當禱西太乙宫公曰乞傳㫖帝曰車駕出郊不預告卿不知典故公曰國初以虞非常今久太平預告但百姓瞻望清光者衆耳無虞也諌官故不扈從
新字:慶厯中京師旱公為諌官乞親行禱雨帝曰太史言月二日当雨一日欲出禱公曰臣非太史然是日必不雨帝問故公曰陛下幸其当雨以禱不誠也不誠不可動天臣故知不雨帝曰明日禱醴泉観公曰醴泉之近猶外朝也豈憚暑不遠出耶帝毎意動則耳赤耳巳尽赤厲声曰当禱西太乙宫公曰乞伝旨帝曰車駕出郊不預告卿不知典故公曰国初以虞非常今久太平預告但百姓瞻望清光者衆耳無虞也諌官故不扈従
書き下し
慶暦中、京師旱す。公諫官と爲り、親しく行きて雨を禱らんことを乞う。帝曰く、太史言う、月の二日當に雨ふるべしと。一日に出でて禱らんと欲すと。公曰く、臣は太史に非ず。然れども是の日は必ず雨ふらじと。帝故を問う。公曰く、陛下は其の當に雨ふるべきに幸いて以て禱らる。誠ならざるなり。誠ならずんば天を動かす可からず。臣故に雨ふらざるを知ると。帝曰く、明日醴泉觀に禱らんと。公曰く、醴泉の近きは猶お外朝のごとし。豈に暑を憚りて遠く出でざるかと。帝は意動けば則ち耳赤し。耳已に盡く赤く、厲聲して曰く、當に西太乙宮に禱るべしと。公曰く、乞う、旨を傳えよと。帝曰く、車駕の郊に出づるは預め告げず。卿は典故を知らずと。公曰く、國初は非常を虞る。今久しく太平なり。預め告ぐるも但だ百姓の清光を瞻望する者衆きのみ。虞る無きなり。諫官故に扈從せずと。
現代語訳
慶暦年間、都が旱に見舞われた。王素は諫官として、天子が自ら出向いて雨を祈るよう願い出た。天子は言った。「太史は、月の二日に雨が降るはずだと言っている。一日に出て祈ろうと思う」。王素は言った。「臣は太史ではありません。しかしその日は必ず雨は降りません」。天子は理由を問うた。王素は言った。「陛下は雨が降るはずの日に合わせて祈られる。誠ではありません。誠でなければ天を動かせません。だから臣は、雨が降らないと分かるのです」。天子は言った。「明日、醴泉観で祈ろう」。王素は言った。「醴泉は近く、外朝も同然です。暑さを憚って遠くへお出ましにならないのですか」。天子は心が動くと耳が赤くなる。耳はもう真っ赤になり、声を荒らげて言った。「西太乙宮で祈るべきだな」。王素は言った。「どうか、その旨をお伝えください」。天子は言った。「車駕が郊外に出るのは、あらかじめ告げない。卿は先例を知らぬのか」。王素は言った。「建国のはじめは非常を警戒しました。いまは久しく太平です。あらかじめ告げても、ただ民が輝かしいお姿を仰ぎ見る者が多いだけです。案ずることはありません。諫官はもとより供奉しません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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易経・彖伝「中孚(ちゅうふ)」は、柔内に在りて剛中を得、説(よろこ)びて巽(したが)い、孚(まこと)乃(すなわ)ち邦(くに)を化するなり。「豚魚(とんぎょ)も吉なり」とは、信の豚魚に及べばなり。「大川を渉(わた)るに利(よ)ろし」とは、木に乗りて舟虚(むな)しければなり。中孚もって貞(ただ)しきに利ろしとは、乃ち天に應(おう)ずるなり。
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呂氏春秋・精通④養由基、兕を射て、石に中て、矢乃ち飲羽す。兕に誠なればなり。伯樂、馬を相するを學ぶや、見る所馬に非ざる者無し。馬に誠なればなり。宋の庖丁好んで牛を解き、見る所死牛に非ざる者無く、三年にして生牛を見ず。刀を用うること十九年、刃新たに磨研せるが若く、其の理に順う。牛に誠なればなり。鍾子期、夜、磬を撃つ者を聞きて悲しみ、人をして召さしめて之に問いて曰く、「子、何ぞ磬を撃つことの悲しきや。」答えて曰く、「臣の父、不幸にして人を殺し、生を得ず。臣の母は生を得て、公家の為に酒を為り、臣の身は生を得て、公家の為に磬を撃つ。臣、臣の母を睹ざること三年なり。昔、舍氏と為りて臣の母を睹、之を贖う所以を量るに、則ち有る無し。而して身は固より公家の財なり。是の故に悲しむなり。」鍾子期歎嗟して曰く、「悲しいかな、悲しいかな。心は臂に非ざるなり。臂は椎に非ず石に非ざるなり。悲しみ心に存すれば、而ち木石之に應ず。」故に君子、此に誠なれば、而ち彼に諭し、己に感ずれば、而ち人に發すとは、豈に必ずしも彊說ならんや。周に申喜なる者有り。其の母を亡う。乞人の門下に歌うを聞きて、之を悲しんで顏色を動かす。門者に謂いて、乞人の歌う者を内れ、自ら見て焉に問う。曰く、「何の故にして乞う。」之と語れば、蓋し其の母なり。故に父母の子に於けるや、子の父母に於けるや、一體にして兩分、同氣にして異息、草莽の華實有るが若く、樹木の根心有るが若きなり。處を異にすと雖も相通じ、隱志相及び、痛疾相救い、憂思相感じ、生きては則ち相歡び、死しては則ち相哀しむ。此を之れ骨肉の親と謂う。神は忠より出で、心に應ず。兩精相得るは、豈に言を待たんや。