宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
官制三省並建而中書獨為取㫖之地門下尚書奉行而已公曰三省均輔臣也正如同舟共濟當一心並力以修政事乞事干三省者自今執政同進呈取㫖而各行之遂定為令
新字:官制三省並建而中書独為取旨之地門下尚書奉行而已公曰三省均輔臣也正如同舟共済当一心並力以修政事乞事干三省者自今執政同進呈取旨而各行之遂定為令
書き下し
官制、三省並び建つ。而して中書獨り㫖を取るの地と爲り、門下・尚書は奉行するのみ。公曰く、三省は均しく輔臣なり。正に同舟共濟の如し。當に一心並力して以て政事を修むべしと。事の三省に干る者は、今より執政同じく進呈して㫖を取り、各ミ之を行わんことを乞う。遂に定めて令と爲す。
現代語訳
官制では三省が並び立っている。ところが中書だけが裁可を取る場となり、門下と尚書はそれを実行するだけであった。公は言った。「三省はひとしく輔弼の臣である。まさに同じ舟に乗って共に渡るようなものだ。一心に力を合わせて政事を修めるべきである」。三省にかかわる事柄については、今後は執政がそろって奏上して裁可を取り、それぞれが実行することを願い出た。そのまま定めて令とした。
解説
制度の上では三つ並んでいるのに、実際は一つが決めて二つが従う形になっていました。中書だけが裁可を取る場となり、門下と尚書はそれを実行するだけであった。この形だと、決めた側にだけ責任が寄り、他の二つは他人事になります。直し方が、権限の分配ではありませんでした。今後は執政がそろって奏上して裁可を取り、それぞれが実行する。決める場に全員が居合わせる形にした。同じ舟という比喩が、そのまま手続きになっています。
この章句が説くこと
官制三省並び建つ而して中書独り旨を取るの地と為る門下尚書は奉行するのみ三省は均しく輔臣なり正に同舟共済の如し事の三省に干る者は今より執政同じく進呈して旨を取り各ミ之を行わん合議責任
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