宋名臣言行録 / 後集巻十三・鄒浩
又一日志完以書約承君㑹頴昌中塗承君喜甚亟往志完具言諌立皇后時浩之言戅矣上初不怒也浩因奏曰臣即死不復望清光矣下殿拜辭以去至殿門望上猶未興凝然若有所思也明日浩乃得罪
新字:又一日志完以書約承君会頴昌中塗承君喜甚亟往志完具言諌立皇后時浩之言戅矣上初不怒也浩因奏曰臣即死不復望清光矣下殿拝辞以去至殿門望上猶未興凝然若有所思也明日浩乃得罪
書き下し
又た一日、志完書を以て承君に頴昌に會せんことを約す。中塗、承君喜ぶこと甚だし。亟かに往く。志完具さに言う、皇后を立つるを諫めし時、浩の言戇なり。上初め怒らざるなり。浩因りて奏して曰く、臣即ち死すとも、復た清光を望まず、と。殿を下り拜辭して以て去る。殿門に至り、上を望むに猶お未だ興たず、凝然として思う所有るが若きなり、と。明日浩乃ち罪を得たり。
現代語訳
またある日、鄒浩が手紙で田昼に頴昌で会おうと約束した。その道の途中、田昼はたいそう喜んだ。急いで向かった。鄒浩は詳しく語った。「皇后を立てることを諫めたとき、私の言葉は不器用でした。主上は初め、お怒りにはなりませんでした。私はそこで奏上して申し上げました。『臣はたとえ死んでも、二度と天子のお顔を仰ぐことは望みません』と。殿上を下り、お別れの拝礼をして去りました。殿の門まで来て主上のほうを望むと、まだお立ちにならず、じっと何か思うところがおありのようでした」。その翌日、鄒浩は罪を得た。
解説
会う約束の手紙が来た、それだけで田昼は察しています。その道の途中、田昼はたいそう喜んだ。言ったのだ、と分かったからです。語られた場面には、二つの静けさがあります。主上は初め、お怒りにはなりませんでした。そして退出のときの後ろ姿。まだお立ちにならず、じっと何か思うところがおありのようでした。諫めが届いていたのかもしれない、と読める一行です。しかし翌日、結果は出ました。その翌日、鄒浩は罪を得た。
この章句が説くこと
又た一日志完書を以て承君に頴昌に会せんことを約す中塗承君喜ぶこと甚だし皇后を立つるを諫めし時浩の言戇なり上初め怒らざるなり臣即ち死すとも復た清光を望まず殿門に至り上を望むに猶お未だ興たず凝然として思う所有るが若きなり諫言余韻
関連する章句
-
『晏子春秋』諫下・景公春夏遊獵興役晏子諫景公、春夏に遊猟し、又大台の役を起こす。晏子諫めて曰く、「春秋に役を起こし、且つ遊猟するは、民の農時を奪い、国家空虚なり、不可なり」と。景公曰く、「吾聞く、賢を相とすれば国治まり、臣忠なれば主逸すと。吾が年幾ばくも無し、吾が楽しむ所を遂げ、吾が好む所を卒えんと欲す、子其れ息めよ」と。晏子曰く、「昔文王敢えて田に盤游せず、故に国昌えて民安し。楚の霊王は乾溪の役を廃せず、章華の台を起こして、而して民之に叛く。今君革めざれば、将に社稷を危うくして、諸侯の笑いと為らんとす。臣聞く、忠は死を避けず、諫は罪を違けず。君臣を聴かざれば、臣将に逝かんとす」と。景公曰く、「唯唯、将に之を弛罷せんとす」と。未だ幾ばくならずして、朝韋冏役を解きて帰る。
-
『春秋左氏伝』哀公十一年 轅頗の大器夏、陳の轅頗出でて鄭に奔る。初め轅頗司徒と為り、封田に賦して、以て公女を嫁がしむ。餘り有り、以て己の大器を為る。國人之を逐ふ。故に出づ。道に渴す。其の族轅咺、稻醴・粱糗・腶脯を進む。喜びて曰く、「何ぞ其れ給(そな)はれる」と。對へて曰く、「器成りて具ふ」と。曰く、「何ぞ吾を諫めざる」と。對へて曰く、「先に行かるるを懼る」と。郊の戰の為の故に、公吳子に會して齊を伐つ。五月、博に克つ。壬申、嬴に至る。中軍は王に從ひ、胥門巢上軍に將たり、王子姑曹下軍に將たり、展如右軍に將たり。齊の國書中軍に將たり、高無丕上軍に將たり、宗樓下軍に將たり。陳僖子其の弟書に謂ふ、「爾死せば、我必ず志を得ん」と。宗子陽と閭丘明と相厲ます。桑掩胥國子に御たり。公孫夏曰く、「二子必ず死せん」と。將に戰はんとす。公孫夏其の徒に命じて虞殯を歌はしむ。陳子行其の徒に命じて含玉を具へしむ。公孫揮其の徒に命じて曰く、「人ごとに尋約せよ。
-
史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
-
『講孟余話』離婁下 第四章十一月十一日。去徙は皆其の国を去りて他国に徙るを云ふ。是れ游仕の人に就いて云ふ。世禄の士、国と休戚を同じうする者の如きは、豈に禍を免れて自ら其の智に誇ることを得んや。人臣たる者、時の不淑に遇ひて諫諍死を致す、固より正義なり、何ぞ遽かに去徙することを得んや。然れども諫め行はれず言聴かれず、君子の道消し小人の道長じたらんには、官を辞し身を退き、一身の覚悟を全うし、緩急のみ用に立たんことを計るも、亦是れ一義にして即ち去徙の意なり。
-
『省諐録』第2条人此に有り。君父の疾病を憂へて、之を藥に求む。幸にして之を得、且つ其の必ず效有るを知る。則ち其の品の貴賤、名の美惡を問はず、必ず之を君父に請はん。君父其の名を惡みて許さず。則ち多方に之を謀り、竊かに之を進むること有らんか。抑も亦坐して其の手足を啓くを俟たんか。臣子至誠惻怛の情、固より其の病患を坐視すべからず。則ち後に其の怒りに逢ふを知ると雖も、亦豈竊かに進めざるを得んや。
-
『晏子春秋』雑上・莊公不說晏子晏子坐地訟公而歸晏子、莊公に臣たり。公説ばず。酒を飲み、晏子を召さしむ。晏子至り、門に入るに、公、楽人をして歌を奏せしめて曰く、「已まんかな、已まんかな。寡人は説ぶ能わず、爾何ぞ来たれる為す」と。晏子入りて坐し、楽人三たび奏して、然る後に其の己を謂うを知る。遂に起ち、北面して地に坐す。公曰く、「夫子は席に従わず、曷為ぞ地に坐する」と。晏子対えて曰く、「嬰聞く、訟うる夫は地に坐すと。今嬰将に君と訟わんとす、敢えて地に坐する毋からんや。嬰之を聞く、衆にして義無く、強くして礼無く、勇を好みて賢者を悪む者は、禍必ず其の身に及ぶと。公の若き者の謂なり。且つ嬰の言用いられず、願わくは身を請いて去らん」と。遂に趨りて帰り、其の家を管籥する者、之を公に納れ、財の外に在る者、之を市に斥し、曰く、「君子は民に力有れば則ち爵禄を進め、貴富を辞せず。民に力無くして旅食すれば、貧賤を悪まず」と。遂に徒行して東し、海浜に耕し、居ること数年、果たして崔杼の難有り。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る