宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
介徐讀畢曰臣忠義憤激雖鼎鑊不避上急召二府以疏示之曰介言他事乃可至謂彦博因貴妃得政此何言也介面質彦博曰彦博宜自省即有之不可隠彦博拜謝不已樞副梁適叱介下殿介諍愈切仁宗大怒玉音甚厲衆恐禍出不測是時蔡襄修起居注立殿陛即進曰介誠狂直然納諌容言人主之美徳必望全貸遂召當制舍人就殿廬草制貶秦州别駕翊日改英州别駕復取其奏以入又明日罷彦博出吴奎而遣中使䕶送介至貶所且戒以必全之無令道死
新字:介徐読畢曰臣忠義憤激雖鼎鑊不避上急召二府以疏示之曰介言他事乃可至謂彦博因貴妃得政此何言也介面質彦博曰彦博宜自省即有之不可隠彦博拝謝不已枢副梁適叱介下殿介諍愈切仁宗大怒玉音甚厲衆恐禍出不測是時蔡襄修起居注立殿陛即進曰介誠狂直然納諌容言人主之美徳必望全貸遂召当制舎人就殿廬草制貶秦州別駕翊日改英州別駕復取其奏以入又明日罷彦博出吴奎而遣中使䕶送介至貶所且戒以必全之無令道死
書き下し
介徐ろに讀み畢わりて曰く、臣の忠義憤激、鼎鑊と雖も避けずと。上急ぎ二府を召し、疏を以て之に示して曰く、介の他事を言うは乃ち可なり。彦博は貴妃に因りて政を得たりと謂うに至りては、此れ何の言ぞやと。介面ミ彦博に質して曰く、彦博宜しく自ら省みよ。即し之有らば隱す可からずと。彦博拜謝して已まず。樞副梁適、介を叱して殿を下らしむ。介の諍い愈ミ切なり。仁宗大いに怒り、玉音甚だ厲し。衆禍の不測に出づるを恐る。是の時蔡襄、起居注を脩めて殿陛に立つ。即ち進みて曰く、介は誠に狂直なり。然れども諫を納れ言を容るるは人主の美德なり。必ず全貸せんことを望むと。遂に當制の舍人を殿廬に召して制を草せしめ、秦州別駕に貶す。翊日、英州別駕に改め、復た其の奏を取りて以て入る。又た明日、彦博を罷めて吳奎を出だす。而して中使を遣わして介を貶所に護送せしめ、且つ戒むるに必ず之を全うして道に死せしむる無かれと以てす。
現代語訳
唐介はゆっくりと読み終えて言った。「臣の忠義は憤り激するもの、釜ゆでの刑でさえ避けません」。天子は急いで中書と枢密を召し、上疏を示して言った。「介が他の事を言うのはまだよい。彦博が貴妃によって政を得たと言うに至っては、これは何という言葉か」。唐介は面と向かって文彦博に問いただして言った。「彦博よ、自ら省みるがよい。もしそれがあるなら、隠してはならない」。文彦博は拝礼して詫び続けた。枢密副使の梁適は唐介を叱って殿を下がらせた。唐介の諫争はいよいよ切実になった。仁宗は大いに怒り、その声はたいそう厳しかった。人々は禍が思わぬところから出るのを恐れた。このとき蔡襄が起居注を修めて殿の階に立っていた。すぐ進み出て言った。「介はまことに狂おしいまでに率直です。しかし諫めを納れ言を容れるのは、人主の美徳です。どうか命だけはお助けくださいますよう」。ついに担当の舎人を殿の控えに召して詔を起草させ、秦州別駕に貶した。翌日、英州別駕に改め、ふたたびその上奏を取り寄せて目を通した。さらに翌日、文彦博を罷免し呉奎を外に出した。そして使者を遣わして唐介を配所まで護送させ、そのうえ「必ずこの者を全うせよ。道中で死なせてはならぬ」と戒めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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呂氏春秋・貴直①賢主の貴ぶ所は士に如くは莫し。士を貴ぶ所以は、其の直言の為なり。言直なれば則ち枉れる者見ゆ。人主の患いは、枉れるを聞かんと欲して直言を惡む。是れ其の源を障ぎて其の水を欲するなり。水奚に自りてか至らん。是れ其の欲する所を賤しみて、其の惡む所を貴ぶなり。欲する所奚に自りてか來たらん。
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尚書・太甲下言の汝の心に逆らう有らば必ず諸を道に求め、言の汝の志に遜う有らば必ず諸を非道に求めよ。
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『韓非子』難言第三范雎は魏に脅(あばら)を折らる。此の十數人は、皆世の仁賢忠良にして道術有るの士なり、不幸にして悖亂闇惑の主に遇ひて死せり。然らば則ち賢聖と雖も死亡を逃れ戮辱を避くる能はざる者は、何ぞや。則ち愚者は說き難ければなり、故に君子は言ひ難きなり。且つ至言は耳に忤(さか)らひて心に倒(もと)る、賢聖に非ざれば能く聽く莫し、願はくは大王之を熟察せよ。
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史記 管晏列伝方に晏子、荘公の尸に伏して之に哭し、礼を成し然る後に去るは、豈に所謂「義を見て為さざるは勇無き」者か。其の諫説に至りては、君の顔を犯す。此れ所謂「進みては忠を尽くすを思ひ、退きては過ちを補ふを思ふ」者か。仮令ひ晏子をして在らしめば、余之が為に鞭を執ると雖も、忻慕する所なり。
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呂氏春秋・壅塞①亡國の主は、以て直言す可からず。以て直言す可からざれば、則ち過、道りて聞く無く、而して善、自りて至ること無し。自りて至ること無ければ、則ち壅がる。