宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
范文正忠亮讜直言無囘避左右不便因言公離間大臣貶知饒州余靖上䟽論救以朋黨坐貶尹洙上言靖與仲淹交淺臣於仲淹義兼師友當從坐貶監郢州稅公貽書責司諌髙若訥不能辨其非辜若訥大怒繳奏其書降授夷陵令公復與師魯書云五六年來此軰沉黙畏慎布在世間忽見吾軰作此事下至竈間老婢亦相驚怪時蔡襄作四賢一不肖詩以歌之
新字:范文正忠亮讜直言無囘避左右不便因言公離間大臣貶知饒州余靖上䟽論救以朋党坐貶尹洙上言靖与仲淹交浅臣於仲淹義兼師友当従坐貶監郢州税公貽書責司諌高若訥不能弁其非辜若訥大怒繳奏其書降授夷陵令公復与師魯書云五六年来此軰沈黙畏慎布在世間忽見吾軰作此事下至竈間老婢亦相驚怪時蔡襄作四賢一不肖詩以歌之
書き下し
范文正は忠亮讜直、言に囘避無し。左右便とせず、因りて公は大臣を離間すと言い、貶して饒州を知らしむ。余靖上疏して論救す。朋黨を以て坐して貶せらる。尹洙上言す、靖と仲淹との交わりは淺し。臣の仲淹に於けるは義に師友を兼ぬ。當に從いて坐貶せらるべしと。郢州の稅を監せしむ。公書を貽りて司諫髙若訥の其の辜に非ざるを辨ずる能わざるを責む。若訥大いに怒り、其の書を繳奏す。夷陵令に降授せらる。公復た師魯に書して云う、五六年來、此の輩は沈黙畏慎して世間に布く。忽ち吾輩の此の事を作すを見て、下は竈間の老婢に至るまで亦た相い驚き怪しむと。時に蔡襄、四賢一不肖詩を作りて以て之を歌う。
現代語訳
范仲淹は忠実で真っすぐ、言葉に逃げがなかった。側近たちは面白がらず、そこで「大臣のあいだを離間している」と言って、貶して饒州の知事とした。余靖が上疏して弁護した。朋党を組んだとして罪に問われ、貶められた。尹洙が上言した。「余靖と仲淹の交わりは浅いものです。臣の仲淹に対する関係は、義において師でも友でもあります。同じく連座して貶められるべきです」。郢州の税を監督させられた。欧陽脩は手紙を書いて、司諫の高若訥が仲淹の無実を弁じられなかったことを責めた。高若訥は大いに怒り、その手紙を朝廷に差し出した。夷陵の令に落とされた。欧陽脩はまた尹洙に手紙を書いて言った。「この五、六年来、こういう連中は黙り込んで慎み深く、世間に広がっていた。突然、我らがこの事をするのを見て、下はかまどの前の老いた下女に至るまで、みな驚いて不思議がった」。当時、蔡襄は「四賢一不肖詩」を作ってこれを歌った。
解説
この章句が説くこと
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